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2006 年07 月08 日

母の病気

自分の今の気持ちを整理するようにこの歳時記に綴っていこうかなと思います。

1週間前に母が他界しました。
病気が見つかって2ヶ月足らずでさようならをする事になってしまいました。
発見が手遅れになるケースの多い病気でした。
医師の診断は余命1ヶ月から3ヶ月、余りにも酷な現実でした。
2月に息子を亡くした母の気持ちを思えば、病気の告知などできるはずもなく
また病気を告げるにはあまりにも残された状況は厳しかったのです。
私達は泣いている時間すらありませんでした。
そのときの私の願いはひとつだけでした。
残された時間、母の笑顔がなくならないように
できる限りの痛みや苦痛のコントロールを医師に強く強く告げました。
そうしてそれは亡くなる数日前までは比較的うまくいっていたと私は思っています。
薬によっての副作用である性格的な変貌もほとんどありませんでしたし
母は最期まで母でいてくれたと思います。

それでも最期の週は薬でも苦痛を抑えきれる事ができず
ただただ辛さを訴える、そんな母の姿がありました。
一緒に座って身体をさすって、抱きしめて一緒に泣いて
手を繋いでそばにいて、そんな時間を過ごしていました。
それでも横で休んでいる私に、
そんなところで寝てると身体痛いでしょ?とか
疲れないの?とか
あんたまで寝れなくてごめんね とか母は言います。

最期の夜、意識のなくなる数時間前、
朦朧としている母が一度だけ正気に戻りました。
それは、孫のまぁくんが病室に入ってきた時です。
「ばぁちゃん〜」
そんな声を聴いた瞬間に目を開けて、
その目が全く正気の目で、光と強さがありました。
「はぁい」 「はぁい」
まぁくんの呼びかけにはっきりと返事をし、手を握り、抱きしめようとしました。
私はそんな様子をみていて鳥肌が立ちました。
ほんの数分間、2人は会話をしていました。

母はその2時間後に意識がなくなりました。
それから12時間、静かな静かな時間を過ごした後息を引き取りました。
その間、もう痛みも苦痛もなく、夜が明ける頃にはまるで眠っているような静かな顔になりました。

死にゆくものに点滴はもう不要です。
さまざまな薬がいったい何をもたらす のでしょう。
苦痛を長引かせるだけのものは一切必要ではありません。
点滴の交換にきた看護婦さんに、そのたびに質問しました。
それは今入れることでどういう意味があるのですか?
それは今必要なのですか?
そのたびに医師がとんできましたm(_ _)m

最期の時、モニターの波形が緩やかに変化し、おやっと思った時に母の呼吸は止まりました。
静かに潮が引くようにおだやかな最期でした。
一言だけ母に伝えました
「よかったね もう痛くないね」
そんな言葉しか私は出てきませんでした。

入院していた時に母の口癖は ごめんね だった
毎日病室によれば、毎日きてくれてごめんね
着替えをすれば こんなことまでさせてごめんね
そこで、少し母をしかりました。
ごめんねじゃ お母さんは悪い事をしたみたいね(笑)
ごめんねではなくて、ありがとうって言ってくれたほうが私は嬉しいと思わない?って

それからは ありがとう!って言ってくれました。
もっとも。。。
ごめ。。。あ、ちがった ありがとう(笑) こんな具合です。

入院当初は、いつ急変してもおかしくない状態と医師から告げられていた。
検査の結果の画像を見ても、素人目でもその深刻さはわかった。
痛みを抑えてもらって母は比較的元気ではあったけれど食事はほとんど取れなかった。

何でも食べていいって言われた あやしい。。。
あんたが妙にやさしい。。。 あやしい。。。
母の中でどんな風に病気を受け止めていたのかは今は知ることはできない。
けれども、後半は薬の影響等もあっただろうし、
集中して自分の病気の事を考える余裕は失われていたと思う。

そんな中で私ら姉妹は外泊を計画していた。
1度目の外泊は母の希望
そして夕食は、すき焼きが食べたい(笑)
それもいいお肉を買ってきて(笑)
どうやら自分は食べれないけど、そういえば私がおそらくご馳走を作るとふんでいたらしい。
その夜は母を交えてにぎやかな夕食でした。
もっともこの日私は風邪をこじらせて母に接近するなと言われ、隔離されていました(* ̄- ̄*)

2度目
おなかの水を抜いた後だったので少し体調は良くありませんでした。
夜中に熱が出たりして本人が不安がり、結局深夜に病院へ戻りました。
このあと母が残したメモに、2人に迷惑かけてしまった、もうしわけなかったと書いていました。
そんなの迷惑でもないのにね。。。

3度目
これが最後の外泊になりました。
前日まで、どうしようか迷っている状態ではありましたが、本人は当日帰る気満々でした(笑)
焼き魚が食べたいというので、準備をして家族で夕食。
一口食べれたね^^
薬はギリギリいっぱい使っていたので、かなりぼんやりする時間もあったけれど
比較的調子も良く、翌日朝病院へ戻る予定を変更して、お昼まで家で過ごしました。

縁側にぼんやり座る母の背中を見ながら、しばらくの間そっとして置きました。
何を思っていたんだろうなぁ。。。
外の風は冷たくなかったかな。。。

今、紫陽花がとてもきれいに咲いているよ。

あじさい1


投稿者:ひめ
at 17 :54| 日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

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◆この記事へのコメント:

◆コメント

先日お会いしたのに、そんなそぶりもみせずに、
耐えていらしたのですね。
こんな 時 が だれにでも訪れるんですね。
つらいけど、悲しいけど、やって来るんですね。
思いっきり泣いて いっぱい泣いて、そして
また歩みはじめましょう!

しばらくは・・・・・ね

投稿者: 西出祥子 : at 2006 /07 /10 19 :12

◆コメント

西出様
コメントありがとうございます。
いつかは誰もがそんな時が訪れるのですよね。
早いのか遅いのかは誰にもわかりません。
その時がきたらしっかりと受け止めることが大切な事なんだと思いました。
もう少ししたら復活しますね^^

投稿者: ひめ : at 2006 /07 /10 22 :16

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