<< 前のエントリ | メイン | 次のエントリ >>
2006 年11 月20 日

この手のテーマで話を書いていくと考え方が偏っているような受け取れ方をされるのと、

誤解もされるのかなと思いながら今日のブログは命について
書き出してみようと思いました。

ずっと昔中学校の頃に作文で私は自殺というテーマで書いたことがあります。
どんな内容で書いたのかははっきりとは記憶に無いのだけれども
最後に私は、死んでも自殺なんてしません。という文章で結びました。
言葉の使い方が変なのだけれども、自分で命を絶つなどという事は
けして有り得ないという強い気持ちを表現したかったのだと思います。

あれからたくさんの年月が経ちました。
今の私が命を軽く思うようになったのかというとそうではありません。
あの頃以上に命、人の生命という思いは大切に重く感じるようになりました。
それと同時に生きていく事すらも辛くて、
心が死に向かわざるを得ないほど苦しんでいる人の事もわかるようになりました。
理解をするということではありません。
自分で命を絶つということは心が死んでしまう事です。
心が死んでしまうから、人は自殺をすると私は思っています。
そうして心が死んでしまうほどその人は追い詰められているという事です。
そしてとても孤独になっているという事です。

いじめで自分の命を絶つ子供達。
さまざまな責任の重圧から自ら命を絶った校長先生。
たくさんの苦労の辛さから生きていくのが辛いと命を絶つ人達。
そういう人たちを一言で弱いからとか命の重さをわかっていないとか粗末にしたとか
それはけしてそうではないということ。

自分が生まれてきて多くの人の死を見送ってきました。
天寿を全うした人の死でさえも悔やむ気持ちは残ります。
人の死を見送る時の人の気持ちはさまざまです。
死なないで、どうして死んでしまったの?
頑張ったね お疲れ様、ゆっくりとやすんでね
悲しさ、悔しさ、哀れみ、辛さ、後悔
ひとつだけの気持ちではありません。

生まれてから人は、その人なりに精一杯生きています。
さまざまな環境の中精一杯に生きています。
たとえその人が自ら命を絶とうが、その人の人生は否定されるものではありません。
不慮の事故で亡くなっても、病気で亡くなっても、同じ死です。

数年前に自殺をしてしまった人をよく知っています。
けれどもその人は命を軽く扱うような人ではありませんでした。
大きな病気を乗り越えて、社会復帰をし、家族を愛していました。
精一杯、本当に一所懸命生きていました。
それでもその人は最期に自ら命を絶ちました。
当時は、残された人の気持ちも考えないでなんてことをと思いました。
けれどもその人の生きてきた証はたくさん残っています。
精一杯生きてきた人生、弱くなんてけして無かったです。
その時から死はいかなる場合でも死なんだと自分で思いました。
死を悲しんだ後は、その人の人生をちゃんと理解してあげる事が一番の供養だと思いました。

死そのものだけを受け止めるのではなく、
その人の生きていた事をちゃんと受け止めてあげる事の方が
大切な事の様に私は思います。

今年は人の死にかかわる出来事があまりにも多すぎました。
私に近い部分、その中でのさまざまな社会の出来事の中の人の死。
あらためて多くのことを考えました。
誰にもに訪れる命の最期
自分の最期は誰にも想像はつきません。
最期の瞬間に人は何を思うのかな。
命のことを考えると私はこのことを思います。

投稿者:ひめ
at 21 :16| 日記 | コメント(4 )

◆この記事へのコメント:

◆コメント

僕も ひめさんの意見に同感です。

僕も数年前、よく知ってる人が自ら命を絶ちました。
周りの人は「何でそんな事をしてしまったのか?」という人もいました。
でも、僕には「その人の最後の優しさ」という部分に見えました。
辛かったと思います。
本当に辛かったんだと思います。

それまで一生懸命生きてきました。
人々のため、家族のために尽くしてきた人ですから...
最期の「ありがとう」という遺書は、心の奥の優しさだと思います。
不自由な体で迷惑かけるよりも、自ら死を選んだのです。

人は生きてきた中で何を伝えるか、何を残してきたかという部分が大切なように思えます。
子孫に大切な何かを残せる人は立派な人だと思います。
「自殺」=「弱い」とは思えません。

みんな一生懸命生きてるんです。

投稿者: 自然人かず : at 2006 /11 /20 23 :30

◆コメント

かずさん コメントありがとうございます。
ちょっと重たい内容だったのでとても嬉しいです。
テレビを見ながら感じたことを伝えたくてこのブログにかいてみました。
なかなか自分の思いを言葉にするのは難しいけれど、
こんな拙い文章から何かが伝わってもらえたらなと思いました。

投稿者: ひめ : URL at 2006 /11 /21 10 :13

◆コメント

【死そのものだけを受け止めるのではなく、
 その人の生きていた事をちゃんと受け止めてあげる事の方が
 大切な事の様に私は思います。】

同感です。そうなのよね。
「生きていた事をちゃんと受け止める」私もそうしていこうと思います。

それにしても…ひめちゃんは凄いね。
自分で、こうやって自分の考えを書ける。人に伝えられる。
文章に出来る事が凄いと思います。
あなたの文章を読みながら、いつも考えさせられるのよ。
そして、自分を見直しています。
自分の考えを覗いています。
そんな時間を与えてくれて、
     ありがとうございます。

投稿者: ガーベラ : at 2006 /11 /21 17 :53

◆コメント

ガーベラさんいらっしゃい。
いつも読んでくださってありがとう。
きっと私の知っている方かなと思いながらお返事しますね。
その時その時の思いを書いているのでもしかしたら読む人によっては理解しづらかったりわかりにくかたりということもたくさんあると思います。
こうして思いを書き出して、同じように感じてくださっている方がいてくれるんだと思うととても嬉しい気持ちになります。
ありがとう。

投稿者: ひめ : URL at 2006 /11 /22 10 :39

※必須