携帯電話
携帯電話を忘れてきた事に気がついた。持ってて良かったというようなことはそれほどないにしても
携帯電話を持っていないだけでそちらへの注意力は無い。
けっこう気が楽(笑)
それにしてもこれほど身近になってしまったこの電話。
ふと思い返したのが10年ちょっと前に父が大病をして入院していた頃
母は1年近く病院で父に付き添っていた。
連絡手段はなんだったんだろう。
思い出した、ポケットベルでした(笑)
携帯電話はまだ高くて手軽にはもてなかった。
ポケットベルもちょっと進化していて、数字の羅列で文字を送れるようになっていた。
「おはよう」とか「せんたくものたまった」とか「とうさんちょうしいいよ」とか
一覧表にして母に勉強させた覚えがある。
昨年の母の入院時は携帯電話で直接話ができた。
母の様子が伝わるので本当にありがたかった。
今はちょっとした連絡手段はすべて携帯電話での通話もしくはメールです。
お手軽な反面、時々うっとおしいと思う時もある。
(あ。友達とどうのということじゃないからね(笑))
遠く離れた友達ともリアルタイムで連絡のやり取りもできる。
時間が一気に縮まっている。
話がコロコロ変わるが、手紙も書かなくなった。
手紙を出して返事がくるまでは1週間。
その時間を待つ余裕が以前は当たり前だったけれども
この携帯メールというものは半日返事がこなかっただけで、どうしたんだろう〜と思うのもやっかいである。
若い人たちはすぐに返事が来ないとだめだそうだ(笑)
先日お店に来た女の子は彼氏とメールをしていて、10分こなかったらもう駄目だと思うらしい。
おいおい。。。( ̄□ ̄;)!!
時間というのは不思議なもので相手を思う余裕も時間の余裕の中に生まれてくる。
1分2分で気持ちが落ち着かないのはちょっと問題ね。
何が言いたいブログなのかというと
便利さと引き換えに、時間がどんどんと磨り減っていっているような今の時代。
人とのかかわり方のやわらかさが無くなっているような気がしました。
以前さださんのコンサートで聞いた事を思い出しました。
手紙は書きながら相手を思い、書き終えたら読み返し
言葉を考えながら相手に送った。
そうすることで相手を思い合えた。
そうすることで余韻があった。
メールはその場の会話と同じように言葉だけを相手に送る。
気をつけなければいけないのは会話のように相手の表情が見えないことである。
等など、まだ今ほどメールというものが日常的に使われる前の話です。
ふとそんなことを思い出しました。
手紙のやりとりが主流だった私の世代
メールのやりとりが主流になっている今の世代の人達
年齢だけではなく、感性の違いはやっぱりあるんだろうなぁ
まるっきりまとまりのない内容でしたm(_ _)m
投稿者:ひめ
at 10 :55| 日記
| コメント(3 )
◆この記事へのコメント:
◆コメント
メールは諸刃の剣ですよ、上手に使えば便利なものだし下手をするとお互いが傷が付くやっかいなものだと思います。
確かに自分たちの生活を便利にしてくれます。どこにいても家族や友人と連絡が取れ重宝ですね。
しかし本当に必要かと云えば大したことありませんよ、どうでも良いことで電話したりメールしています。
まぁ それなりに暇つぶしになるから・・・どんな程度のものですよ。
投稿者: 男前のアッちゃん : at 2007 /03 /13 23 :48
◆コメント
携帯は便利ですけど ひめ姉さんのおっしゃるとおり、人とのコミュニケーションが薄くなってしまうかもしれませんね。
ボクもどちらかと言えば携帯がない方が楽です^^
というか、ボクには携帯は必要ありません(笑)
解約してもいいんですが、周りの人が「不便だ」っていうので、一応持っています。
いいのか悪いのか 便利なものはなかなか手放せないですね^^;
投稿者: 自然人かず : at 2007 /03 /14 21 :07
◆コメント
アッちゃん
便利なものは思いがけないマイナス面も使っているうちに出てきますね。
ふと思ったことをブログに書いてみました。
アッちゃんのいう諸刃の剣 よくわかります。
上手に楽しくつかっていきたいですねぇ。
かずさん
携帯電話を持っているとやっぱりそちらに神経がいってしまいますね(笑)
でも持っていないときに限って大事な用事のメールもはいっていました。まいりますねぇ(^^;;;
ちなみにうちの亭主さんは持っていても電話には出てくれませんし、メールもやる気がありません。
不便だから持っててねという人です(笑)
投稿者: ひめ : at 2007 /03 /14 23 :40