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2009年05月30日

また一つ、時代が終わったような気がする

中島梓の訃報のを目にしたのは、社内メールでだった。

「栗本薫、死去」

一瞬、頭の中が真っ白になり、記事を読んだ後は仕事中だというのに何だかちょっと泣きそうになった。

私は別に栗本薫のファンではない。
むしろ、彼女の文章は苦手なほうだ。

「終わりのないラブソング」と「朝日のあたる家」は読んだが、
正直苦しいばかりである。

中島梓名義の
「コミュニケーション不全症候群」
「タナトスの子供たち」
もすべてにおいて共感できるわけではない。

でも彼女は特別だった。

きっとそれは私にとって特別である世界に、深く関わっていた人物だったからであろう。

とあるサイトで、彼女のファンでありながら、彼女を否定するしか出来ない方の文章を拝読した。

彼女と自分を照らし合わせて語るとき、私も彼女を否定することしか出来ない側の人間である。

私は彼女の何かを知っているわけではない。
ただ、多分、彼女は似たような種類の人間だったと思う。
持ち合わせているものは全くの別物だが、己という核がとても似ているのではないか。
そんな気がしてならない。

でも、ジルベールのようになってはいけないように、私たちは彼女のようになってはいけないのだ。
前出の方曰く、自分の世界観しか肯定しないような、愛されることだけを望むような、そんな人間になっては駄目なのだ。
それは、双葉ちゃんの取った行動を喜べなかった自分には難しいかも知れないけれど。

彼女を語るとき、それは私にとって、自分と向き合うようなものだ。
JUNEを語るのと同じように。
彼女はまさにJUNESTだった。創始者の一人だから当たり前っちゃ当たり前だが。

まだ上手く言えないけれど。

私たちはまた、このままではいけないのだと、背中を押され、後戻りの道を断たれたような気がする。

頑張ろう。生きていけるうちは。

投稿者:とうだat 19:56| たわごと