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2005 年08 月16 日

存在状態

 よく言われる事だが、他者との繋がりによって自分が存在し、個性が存在する。他者と比較される事で自分、或いは他者の特徴(=個性)が存在開始し、より顕著になる。

excite辞書より引用
>大辞林 第二版 (三省堂)
>こせい 【個性】<
>個人・個物を他の人・物から区別しうるような、固有の特性。パーソナリティー。

他者が存在しなければ自分がどんな存在なのか理解できない、という事だ。
 だが、実際の自分はどんな存在なのか殆ど理解できていない。個性、性格なんていうものはある程度誤魔化しが利くもので、常に断定できるものではないからだ。損得勘定で物事を考える部分が非常に大きい自分にとっては尚更だ。本当の、真実の個性、性格とは何か。そんなものは果たして存在するのだろうか。
 チャット。その場で発言された文章によって、その発言者は確かに存在し、また発言者の性質が生まれる。しかし、その発言者の性格、個性といったもの、そして性別さえも不確定極まりないものである。しかし、明らかに演じられた発言者の存在であろうと、行われた会話は実在のもので、その発言者は確かに存在する。
 自分はここに居る。だが、自分という存在は他人の脳の中にのみ存在する。では、逆に脳の中に存在すれば、その存在が実現するのだろうか。ツチノコやカッパという不可思議な生物の存在は脳の中に存在する。しかし、実在するかどうかは不明だ。実在が不明、しかし可能性は0ではない。噂、それの良し悪しに関らず、噂でその存在の性質が決定されてしまう。不安定な存在。恐ろしい話だ。

投稿者:未定at 23 :25| 戯言 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

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