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2005 年11 月05 日

他愛無い話ができないわけじゃない事に気付いた

 波長の調節が他人に比べあまり出来ていない、やりたくないという考え方がどうやら正解に近いらしい。幼少の頃の自分はもう少し適応能力が高かったような気がするのだが。寧ろ順応というべきか。
 閑話休題。自分にとってその波長、チャンネルといったモノに適している対象は主に男性であるようだ。下卑た会話、無価値な論理的会話といった種類の会話が自分にとってかなり適しているチャンネルだ。それをそのまま女性に適用した場合、かなりの可能性で俺は人格破綻者と理解されるだろう。強ち間違ってない。
 小学校3年生の頃だろうか。男女の差を考えずに話せていた俺は突然、同姓の友人にからかいを受ける。何がおかしいのだ、と理解できなかった。この時の俺は世の中で生きていく上で、純粋過ぎていて、正義感を背負い過ぎていた。まぁこれが俺の昔の最も誇れる部分ではあったのだが。その後それらは更に高まる事になり、そして失墜する。最終的に、その友人達の方に合わせる事になったのだ。適応能力は無駄に発揮されてしまった。
 今思えばこの環境は最悪だった。まぁ世の中を上手く渡っていく上ではこの昇華、通過といったものは確かに必要だったのかもしれないが。挫折、失望、自信喪失といったワードがまさにその状態を表している。まぁ、いざ過ごしてみれば幾分こちらの方が良かった気はするが。何も知らずに地雷原をスキップで歩く馬鹿よりは、絶望的に地雷を踏まないように、解除するように心掛ける人生を過ごす方が慣れれば楽だ。まぁ前者は何も考えずに果てる事ができそうだが。
 閑話休題。さて、適応した人物と話すのは何ら問題は無い。しかし、女性や管轄外の男性と会話を行おうとした場合、軋轢が生じる。耐えられない。合わせられないのだ。途中で殴りたくなってくる。重傷だ。結果として特定種の人を避けるようになったようだ。
 さてその特定種だが、どうやら個人としての力、それも排斥能力が強い者らしい。自分のクローンと話す姿を想像してみる。物資の面で何らかの諍いが生じそうだが、かなり面白そうな会話を繰り広げられそうだ。
 だが、もし、これが「俺より少しでも汚く、自分勝手な性質」だった場合。俺は生理的にそれを回避、可能であれば排除しようとするだろう。最悪な想像だ。これ以上考えたくない。理由を考える気すら失せる。これだけは駄目だ。理解できない最悪。理解したくない最悪。それと会話したら俺は10秒で絶望するだろう。たぶん、現在の自分自身が汚さ、自分勝手さの限界だと感じているからだろうか。まぁ理由なんてどうでも良いか。

 さて、俺は酷く受動的な性質になっているようだ。しかも寄ってきたモノを選別、その上対応は完全に一方的と来た。愚かな蟻地獄だ。

 アリジゴクってあいつら半分楽しみながらアリを捕まえてないか?俺にはあの方法がどうも効率良く思えない。有るとするならば、それは多分享楽の一種。そう考えるのが妥当だと思ってしまう俺の性質。

投稿者:未定at 23 :08| 戯言 | コメント(1 ) | トラックバック(0 )

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◆この記事へのコメント:

◆コメント

そうそう、そういうことを考えていた時期が俺にもありましたよ。俺は適応外の人物と話すときはさほど無理はしないようにしてる。そういうケースはそうそうあることじゃないけど・・・。
結局人付き合いも利害関係が絡むみてえだからな、
あんまり考えたくはないが。
気づいたら何かしらの選別はしてるからなぁ・・・。
まさにこの世は蟻地獄。

投稿者: さすらい@風邪 : at 2005 /11 /08 16 :09

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