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2006 年01 月08 日

忙しさ

 何も余計な事を考えられないくらいに忙しい方がいい。隙が生まれるとすぐに何か考えてしまう。 極稀に出るものを除いて、それは所謂「ヒトらしいアタタカミ」を全く欠けた思想である事が通常だ。無常感を強く意識してしまいバイタリティが著しく低下する。
 昔読んだ本に書いてあった。氣は消費する事によって増加し、温存する事によって減少する。どうやら確からしい。
 だが、消費できないくらいに減少してしまった者はどうやって氣を増加させるのだろう。多分、他人の助けだろう。私はそういった人に氣を与えてあげたい。それはきっと無償の愛のようなものだろう。ここで大切なのはその愛が無償であるという事だ。無償でない愛はどちらにとっても非常に重いからだ。
「ヒトらしいアタタカミ」が常に必要であるとは思わない。寧ろそれは甘えという足枷にしかならない。ただ、消費するような氣すら無くしてしまった時、それは絶大な、圧倒的な力を持つ。
 私は氣を増加させ過ぎてバーストさせてしまった事が二回ある。溢れる氣を扱い切れなかったのだ。やはり中庸がベストだ。何事にものめり込む、或いは全く手を付けない私の性格にはその中庸という方針は非常に難解なものだけれども。

投稿者:未定at 18 :06| 戯言 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

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◆この記事へのコメント:

◆コメント

忙しさは堕落を生みづらいよな。
時間は有り余るほどあるより、制限された方が
効率的に使えるから困る。

投稿者: さすらい : URL at 2006 /01 /09 18 :47

◆コメント

>時間は有り余るほどあるより、制限された方が
>効率的に使えるから困る。
全くその通りだと思う。
効率よく時間を使用”しなければならない”状態にする事で、
必然的にその行動は時間の制約に収まるんだろう、と。

まぁそういった状態になる事自体が稀な事なわけですが。
意識して追い込まないと時間は無駄に浪費される気がする。

昔どこかで見た(聞いた?)言葉を思い出した。
「人生は何もしないには長すぎて、何かを成し遂げるには短すぎる」
言い得て妙。

投稿者: 未定 : at 2006 /01 /09 22 :58

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