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2006 年01 月29 日

変化が無いと気付かない

 身近な例で言えば鼻の詰まり。それから解放された時、人間というものはやたらそれに快暢な心持ちになるものだ。翼が無い人間は空を飛ぶ事に憧れたが、実際、鳥はその飛ぶという事に関しては極当然の事であり、人間が抱いているような自由はその翼では掴めてないだろうし、それを所有しない人間の方が寧ろそれに近い気もする。(他の何らかの要素により、逆に最も自由からかけ離れている動物であると定義もできるが)
 この日常における不変だと思われる要素を察知し、それについての認識を補正するする必要性はあるのだろうか。それは生活における幸せだと思える事柄を増やすと同時に、終わりを示唆する事にもなる。どちらとも言えないものだ。

投稿者:未定at 23 :44| 戯言 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

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◆この記事へのコメント:

◆コメント

>人間が抱いているような自由はその翼では掴めてないだろうし、それを所有しない人間の方が寧ろそれに近い気もする

これと似たようなことを言ってた漫画があったな、
「人間は翼を持つ鳥に羨望の念を抱くが、それは鳥たちにとっては飛び続けねばならないこと、常に危険を孕んでいることに他ならない、彼らはそんな人間達を冷ややかにみているのかも知れない」みたいな。

逆に認識しなきゃいい幸せもあるね・・・後味が悪いが。

投稿者: さすらい : at 2006 /01 /30 22 :29

◆コメント

全く、我々人間は自分勝手な生き物ですよ。
物事を一面だけで見がちな性質を直さないとダメですね。
AだからBじゃないか?という発展的な考え方をするよりも、
何故Aなのか、という根本的な考え方をする必要がありますね。
(所謂子供のよく使う\"why\")
でも、
>逆に認識しなきゃいい幸せもあるね
普遍的で不変な現象を感じない方が、やっぱり心配は減りますよね。
幸福は増えても心配が増えたら精神は少しずつ擦り切れて行く気がします。

よく分かりません。

投稿者: 未定 : at 2006 /01 /31 04 :35

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