2006 年01 月31 日
感情の表現
中学校の頃だろうか。国語の教科書に「泣いている人間の嗚咽、涙は醜いだけであるが、それは芸術に表現した時に美しくなる」といったような事が書かれていた記憶がある(うろ覚えだが)。確かにその通りである。心にマイナスな部分がある人間は見ていて気持ちよくないものだ。だが、それは歌や文章に変換される事でとても美しいものになる。例えば悲恋の歌なんていうものはただの甘えにしか聞こえない。だが、それは聞く者を共感させ、感動させる。クッションを一つ置くだけであまりにも大きな差が生じるのだ。
私はそのクッションを創り出す能力が、現代における日本人にとって、欠けていると思うのだ。生活に余裕が無いからだろうか。文化の変化だろうか。何にしろ、私はこの日本人における特徴的な情緒感を喪失させるのは非常に惜しいと思っている。自然や人間関係を筆頭とする様々な現象、変化の中に特別な感情を見出そうとするその行いは、とても美しい事だからだ。人間は無意識の内に美を追究しているものだ。
私はその様な能力を(様々な形で)もっと身に付けたいと思っているが、どうも上手く行かない。より大きな感情(それには体験が必須だ)が必要なのだろうか。よく分からない。
投稿者:未定at 05 :29| 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )