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2006 年02 月14 日

追記

 しかしながら愛は求めて手に入るものではない。自ら能動的に与え、(必然ではないが)返ってくるのを待つしかないのだ。それは理不尽である様に感じるが、仕方ない。
 愛を与える者程、逆にまた同様に(或いはそれ以上に)愛を求めているのではないだかろうか。そうすれば勝手な「貸し」を作る理由も理解出来る。それは高利か、或いは無利子で譲渡に近いものかは人それぞれだが、たいてい何らかの「リターン」は求められているのだ。(与える行為自体にアイデンティティを感じるような場合は例外だが)
 まぁ、それでも勝手な「貸し」を作られた方はたまったもんじゃない。=愛の移動には多少の責任が伴っているようだ。

投稿者:未定at 00 :01| 戯言 | コメント(1 ) | トラックバック(0 )

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◆この記事へのコメント:

◆コメント

自分はギヴ&ギヴの精神で、リターンがきたらラッキー、
な考え方でいるつもりだけど、
確かに貸しとなる側には貸しを意識するとなると
もどかしくなるよな。

投稿者: さすらい : at 2006 /02 /14 15 :49

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