2006 年03 月01 日
恋と愛の相違点について
恋と愛の相違点は難関な問いである。愛は真心、恋は下心、等と言われているが、実際はどの様な相違があるのだろうか。さて、言葉の意味を知りたい時は辞典を使用すれば一瞬にして解決される。非常に容易な問題であった。>こい こひ 【恋】
>(1)異性に強く惹(ひ)かれ、会いたい、ひとりじめにしたい、一緒になりたいと思う気持ち。
>(2)古くは、異性に限らず、植物・土地・古都・季節・過去の時など、目の前にない対象を慕う心にいう。
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>あい 【愛】
>(1)対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ。
>(ア)相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。
>(イ)異性に対して抱く思慕の情。恋。
>(ウ)何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち。
>(2)キリスト教で、神が人類を限りなく深くいつくしむこと。→アガペー
>(3)〔仏〕 人や物にとらわれ、執着すること。むさぼり求めること。渇愛。
>(4)他人に好ましい印象を与える容貌や振る舞い。あいそ。あいきょう。
Excite辞書 大辞林 第二版 (三省堂)より引用
恋愛における恋、及び愛の意味はどちらも(1)であると思われる。解説を読む限り、恋は独占欲による感情であるようだ。
では愛は何によるものだろうか。分からない。さっぱり分からない。対象に対する深刻な対応である事は分かるが、それが何に因って発生する感情なのかは分からない。自分が所有するモノについて愛を感じるならば、この問題は解決する。しかしながら、「(自分が)所有していないヒト、モノ」に対し愛を感じるのは一体どのようなメカニズムがあるからなのだろうか。
考えられる可能性は2つ。1つは既に所有していると錯覚を起こしている場合。もう1つは所有せずとも失いたくないモノであると感じている場合である。前者は省略して問題ないだろう。それよりも後者が非常に興味深い。自分が所有せずとも、何らかの(自分に対する)価値、利益をそこに見出しているのだろうか。例えばミロのv−ナスが破壊された際、それを自分の所有物では無いにしろ、怒りを覚える、といった具合だ。残念ながら私にとってミロのヴィーナスはどうでもいい対象な為、現在の問題に関しては無意味な例えだった。逆に言えば、興味がある事柄が損失を被った場合、怒りを覚えるのではなかろうか。
ここで興味がある事柄を挙げようと思ったが、私が愛する程興味を持っている事柄は無いようだ。非常に経験が浅い人生である。この問いを解決するまでにはもう少し時間を要するようだ。
投稿者:未定at 14 :19| 戯言 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )