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2006 年03 月07 日

信じるという事

 何かを「信じる」場合、最終的には自分自身をも信じる必要もある。信じて裏切られた場合、それは単なる自業自得に過ぎないからだ。私にとって裏切りとはとてつも嫌な事であるので基本的に人を信じない。
 ところで、英語には「信じる」表現が多く存在する。

>believe…本当だと思う
>be convinced…確信する
>trust…信用する
>rely…信頼する
Excite エキサイト辞書 新和英中辞典 第4版 (研究社)より引用

私は比較的"believe"や"be convinced"するが、"trust"や"rely"する事はあまりない。多分、対象がヒトである事が多いからだろう。ヒトは不確定要素が多過ぎる。疑わしい人間は全て信用しない。ただ、一旦信用してしまうと、後はひたすら信用し続けてしまう為、注意が必要である。熱しにくく冷めにくい性格である。
 さて、私は現在"trust"し"rely"すべき状況であるのだが、それは果たして本当に行われるのだろうか。自分でも分からない。それを行う事によって生じるリスクがとても大きいからだ。もしそのリスクが直撃すれば大変な事になるだろう。それでも私は"trust"し"rely"してみようと思う。私は痛みを味わう事が必要だ。今まで甘え過ぎていたのだ。仮に骨折しても、その骨は再生する際、更に丈夫になって戻ってくる。まぁ、この問題は麻痺とか植物状態、或いは死亡、そういった極端なリスクでは無いと思うのだけれども、もしそうだったらどうすれば良いのだろうか。とりあえず心の柔軟体操しておけば大丈夫なんだろうか。
 ちなみにリターンは非常に不確定。そして少ない可能性が大きい。それでも私は「信じる」のだろうか。全く、愚かな選択をするようになったものだ。

 明日が今日に比べ、より良い日になりますように、より良い日にできますように。

 私は明日へ誓う。

 1秒でも永い微笑みを
 1mでも遠い冒険を
 1つでも多くの幸せを

また明日。

投稿者:未定at 23 :25| 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

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