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2005 年06 月27 日

エントロピー的な解釈

 以前の話をエントロピーに絞って考えてみようと思う。
 物理学、科学的において、一般的に物事の変化は常に安定した方向に流動する。しかしながら、自分の思考は間違いなく逆方向のベクトルを持っている。秩序に満ちた世界を乱雑なものへと変えるような極論的な思想だ。まとまりが無いグループだった場合、そのグループがまとまるようリーダー的な立場を取り、逆の場合は自分ははみ出しに行く。ひねくれている。
 常に「偏った好奇心」を持っている。興味の無い事に対しては見向きもせず、逆に自分にとって興味のある事に対しての執着は、他人から見ると間違いなく異常な好奇心だ。好奇心は人類における正のエントロピー変化だと思う。熟知した場所における安定した生活を抜け出し、未知なる。それにも関らず興味を持つのは明らかに異常だ。生物学的に「異端児」なのだ。(自分もる不安定な場所を求めている。この行為は内容次第で人類を滅亡させる可能性をも秘めてい含む)その「異端児」が人類に多くの恩恵を与え、絶望的な苦しみを与えてきた。不安定な状態から安定した状態に移行する際にはエネルギーが発生するからだ。さて、自分は一体どうだろうか。異常な(他人から見て)考えを内面に持ち、しかし、確固たる秩序を求めようとする所もある。多分、他人の動きと全く逆に働く「反作用」的な役割をしているのではないだろうか。自分が世界のトレンドに対して逆流する事でバランスが取れている。それは行き過ぎた考えかもしれないが、そう思ってしまう自分が居る。さて、幼児はその「正のエントロピー変化の塊」で、無限の可能性と冷酷な無知で塗り固められているが、未だに自分はそのような存在なのだろうか。

投稿者:未定at 15 :25| 戯言 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

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