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2011 年08 月07 日

あの震災から


3月11日・・あの日、

福島工場従業員のひとりが、自分自身の家族が被災したにもかかわらず自衛消防団として遭難者の救助に出かけた。それからひと月近くが経っても彼は会社に戻ってこない。もちろん彼はその間、被災地を駆けずり回っていたのだが。

「あいつは何をしているんだ・・・」「仕事や部下のことを、どう考えているんだ・・・」彼は責任者の立場であったため、部下や同僚達から様々な非難を受けていた。そして今、彼はまったく別の部署で働いている。

そんな彼と福島で久しぶりに会い、酒を酌み交わした。
「俺1人では、たった30人の遺体しか探せなかった。」彼はそう切り出してから、話し始めてくれた。

「津波が引いた直後、俺は母子の遺体を見つけた。赤ちゃんを絶対離すまいと、しっかり胸に抱きしめたままの遺体。泪が溢れて溢れて止まらなかった。」

「次の日、1人の女性が呆然と佇んでいた。問いかけてみると、二才の子供を抱いたまま一生懸命に津波から逃げた。逃げて逃げて、そして津波にのみ込まれた。そのとき、水を飲み込んだほんの一瞬だけ、子供を抱く手が弛んでしまい、二度と子供は戻ってこなかった。そう自分を責める彼女は虚ろ。次の日も、次の日も、そして風雨の日も、放射能からの避難勧告がでても、彼女はその場所に来て子供を捜し続けた。
「私が探し出すから」といっても、彼女は決して現場を離れなかった。そして泣き続けた。悔やみ続けた。自分を責め続けていた。その彼女のためにも現場を離れることができなかったんだ。そうしなければ、せっかく生き延びた命を彼女が捨ててしまうように思えたから。」

彼の優しさが私の胸に突き刺さった。人間として、何が大切なのか。
この日本を舵取る政治家達は、今何を思っているのか。
決して忘れてはいけないあの大震災。あのとき、日本中が誓った「絆」の意味を、もう一度心に。

投稿者:スナフキン
at 19 :41| 日記 | コメント(0 )

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