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2005 年4 月30 日

ペルー 〜スモッグの向こうには紺碧の空編 E〜

夕方、中庭で本を読んでいると
主が呼びにきた。

そして俺達は、本当に隣接する豪邸に案内された。

主 「オラ!カルロス。この人たちがさっき話した
   日本人だ」

玄関にはノッポの主人が出てきていた。
彼がカルロスさんだろう。

彼の後ろにハニかんだ10歳くらいの女の子が
隠れてこちらをうかがっている。

カル「はじめまして。
   君達、今日は大変でしたね。
   まぁ、とにかく中に入ってください。
   ママは日本語上手ですから」  

なかなか流暢なちょっと外人ナマリの日本語である。
主は仕事があるので、とホテルに戻り俺達二人が
奥へと招かれた。

ダイニングには彼の家族がそろっていた。

奥様のアニタさん、長男で高校生のエルナンド君、
次男で中学生のエミリオ君、長女で8歳のサラちゃん
そして、おばあちゃんのフミさん。

なぜか、美男美女のファミリーだ。
カルロスさんファミリー

フミさん「よぉ来なさった。
     大変なことやったねぇ。
     でも、これでペルーのこと嫌いにならないでね。
     せっかくやから晩御飯でも一緒にどうですか」

俺達  「ありがとーございます(涙 涙)」

ことの成り行きの一切をフミばぁちゃんに伝え、
日本語か完璧ではないカルロスさん達に訳してもらい
彼らにも私達の状況が漸く完全に伝わった。

そして、カルロスさんが翌日に一緒に警察に行ってくれることになった。
さらに、

カルさん「君達はお金もないんだね。
     よし、残りの日数は僕達のところに泊まりなさい。
     あと、僕は結構時間が自由だから
     明日からリマの面白い所を案内しよう。」

俺達  「えぇ〜っ!!それは、ちょっとあまりにも・・・」

さすがに、今知り合ったばかりの人にそこまでは甘えられず、
既に残りの宿泊費を払ったこともあるので宿泊はお断りした。

しかし、そのほかでは思い切って甘えさせてもらうことにした。

何で、そんなに親切なのですかと、後で聞いてみたところ

カルさん「僕達日系移民の爺ちゃん達は、
     言葉も解らない地球の裏側の国に
     夢を掛けてやってきた。
     でも、裸一貫で差別もあり大変だったんだ。
     そんな中で日系人がここまで地位を確立できたのは
     人のつながりを大切にしてきたからなんだよ」

日本では既に廃れた日本人の古き良き精神が
このペルーでは今だに守られていることを知り
なにか嬉くもあり、
また日本からきた自分が恥ずかしくもあった。



投稿者:与五朗(よご)at 13 :00 | 海外流浪 旅日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月29 日

ペルー 〜スモッグの向こうには紺碧の空編 D〜

ホテルの格に似合わず総大理石っぽい
雰囲気のいいエントランスだ。
主のペットの極彩色のオウムが歩き回っている。飛ばずに。

巨漢のオーナーに窮状を訴え、警察への届出について
アドバイスを願った。

俺達「かくかく」

主 「ふむふむ、なるほどぉ〜」

俺達「しかじか」

主 「ほっほぉ」

身振り手振りで懸命の説明だった。
しかし・・・

主 「う〜ん、君達のスペイン語は良く解らん」

(ガーンッ!!)

興奮しているのと、あせりから益々トンチンカンな言葉に
なっていて余計、わからなかったようだ。
エントランスにて

主 「そうだ、隣のカルロス(仮名)んちに行ってみたらいい。
   あそこのおばあちゃんは生粋の日本人だから良く伝わるだろう」

俺達「!? 日本人?」

聞くと、隣の豪邸に住まわれているのは日系移民の家族で
おばあちゃんが幼少の頃に沖縄からペルーへ来たという。
だからおばあちゃんは日本語が堪能なのである。

主 「今、カルロスは仕事だから夕方になったら案内しよう。
   なにかと力になってくれるかもしてないよ」

俺達「アりガトー 旦那ぁ〜」

夕方まですることがなくなった俺は金も無いので
習慣となっている筋トレをした。
なぜか旅行中、毎日300回の腹筋、背筋、腕立てをしていた。
理由は、現地人とのケンカに負けない為だった。
刃物や銃なんか平気で出てくる向こうで意味の無い行為、
むしろケンカを前提とすることは危険な考えだ。

実は本気でケンカする為ではなく、
鍛えてることで、ここ一番での肝を養っていたつもりだった。

しかし、今回の事件では筋肉も肝力も全く役に立たなかったが・・・      てか、胆力はかけらでも発揮されていたのか?
肝縮みあがっとった!                        

         (生粋の馬鹿である)

投稿者:与五朗(よご)at 17 :59 | 海外流浪 旅日記 | コメント(4 ) | トラックバック(0 )

ペルー 〜スモッグの向こうには紺碧の空編 C〜

(GWに一人店番なのでペルー旅完結偏を一気に書こー)

時間はまだ昼下がりの2時過ぎ、俺達の状況せせら笑うかのような
突き抜けた晴天だった。
午後になり少し、スモッグも落ち着いてきたようだった。

白バイヤロー ジョン&パンチに礼を言い
ホテルへ駆け込んだ。

ホテルといってもホスペダヘという
個人経営10室くらいの民宿だ。
しかし、コロニアル風建築の高い天井と
それに比した長い窓とカーテンがお気に入りだった。
しかも一日宿泊費が800円位だ。

鍵をもらい、部屋に駆け込むと俺は真っ先に
ベッドマットの下をまさぐった。
手に予測したとおりの感触がある。

汚い紙袋に包まれた最後のトラベラーズチェック
それが100ドル分隠してあった。
最後の100

いつも、海外でホテルから出歩くときは
埃だらけで長く掃除されていない場所を探した。
ベッドの下とかサイドテーブルの裏とか。
そこに、いざというときの金を分散して隠していた。

南米の安ホテルではホテル従業員や
ホテル自体が信用できなかったからだ。

かといって、全財産を持ち歩けば
今日のような自体のときに無一文になる。

この日は旅も終盤だったのと土産を買うつもりだったので
もう100$しか残していかなかったんだ。

何はともあれ二人で残り5日を残しての、100ドルはでかい。
空港税や残りの宿代、空港までの交通費は確保できた。
ただ、もはや遊べはしないし、まともに飲み食いできない・・・
赤道に近いペルーで、以外に金を使うのが水だった。
熱いので、一日2リットルは飲んでいたと思う。

あとどうすべか・・・大使館に駆け込むか・・・みっともねぇなぁ・・・

警察で盗難届け出さねぇと保険ほりねぇな・・・警察やだなぁ・・・
込み入った話できるほど語学力ねぇしなぁ・・・

そこで、俺達はまず気のいいホテルの親父に相談することにした。
巨漢で白人の彼はドイツ系の移民だと思う。
これまでの南米の旅で、最も感じの良い宿主だった。




投稿者:与五朗(よご)at 11 :40 | 海外流浪 旅日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

ペルー 〜スモッグの向こうには紺碧の空編 B〜

俺達「なんか貴方達のお仲間を名乗る連中に身包みはがされて、助けてください」

率直に要点を説明した。(率直に要点を説明する語彙しかなかった)

白バイ's「!?」

白バイA「やられたな。ホテルはどこだ?」

俺 「ホスペダヘ○△■、☆×通りのところ」

白バイB「それなら、●番のバスで帰れる。バス代はあるんやな?」

疲れ果てた俺はバスに乗るのが面倒だったのでバス代は
犯人グループのお情けで残されていたにもかかわらず

俺 「ない。身包みはがされたってゆうたやん」

って言っちゃった。

ついでに

俺 「だから送って」

とも言っちゃった。

そしたら

白バイB「仕方ない。乗れ」

捨てるポリあれば拾うポリあり。
いい人達だ。

しかし、1人ケンは不機嫌だ。
ヤツはまだ、この白バイを信用していない。
警察全てが悪党に見えてるようだ。

あのような事件の直後なら
むしろ、その方が正常な感情だと思う。

俺は、単に速く楽にホテルに帰りたかっただけだ。
そのためなら多少の危険の可能性はもう目をつぶっていた。

幸いケンの不安は杞憂に過ぎず、
無事、最速でホテルに戻ることができた。
白バイタクシー

・・・そういえば、なんで白バイ'sは俺達を警察署に連れて行って
被害届けをさせなかったのだろう・・・

答えは簡単。一銭にもならない仕事だからです。

投稿者:与五朗(よご)at 04 :30 | 海外流浪 旅日記 | コメント(1 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月28 日

ペルー 〜スモッグの向こうには紺碧の空編 A〜

中華の店員が最後に一言投げてきた言葉が気になっていた。

「この辺り、治安悪いあるよ。気をつけな」

人気は無いが、以上に周囲に気をめぐらせつつ
暫く当ても無く歩いた。

角を曲がり、ようやく大通りに出たとき、
今度はちゃんとした制服姿の白バイ警官が数人で
輪になって談笑しているのを見つけた。



私 「あれ、ホンマもんの警官ちゃう?
   相談してみんか?
   バスで帰ろうにもバス停も路線も分からんしな」

ケン「もう警官は嫌やで。
   あんなもんホンマもんか分からんし、
   第一さっきの詐欺かてホンマもんかもしらん。」

私 「そんなんゆうて、じゃぁどうするんや?
   このまま、歩いて帰るんか?
   どっち向いて何キロ歩いたら帰れるんや?」

ケン「知らんわ!
   ほやけど、警察だけはもう嫌なんや!!」

私 「ほんなどいつもこいつも悪人なわけあるか!
   まして、白バイもあるし制服きてるやろ!!」

ケン「ほんなら、おまえ一人でいけや!」
           
私 「いくわ!おまえはペルーで達者で生きてけや!」
  
           ・
           ・
           ・ 

白バイ発見     
ひとしきりケンカして興奮して、
互いに恐怖感が薄れたところで
結局、今更取られるものも無いっちゅうことで
白バイのお兄さん達に助けを求めることになった。

投稿者:与五朗(よご)at 09 :56 | 海外流浪 旅日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月27 日

ペルー 〜スモッグの向こうには紺碧の空編@〜

11年前、俺たちは無一文で地球の裏側にたたずんでいた。

前シリーズ参照

人気も無い、真昼間のペルーの首都リマのダウンタウン。
スモッグでよどんだ空気が喉に引っかかるようだ。

見事な詐欺にしてやられ、バス代の100円相当とパスポート、帰りの飛行機チケット以外、財布もトラベルチェックもカードもカメラもウォークマンも全て奪われた
俺たち二人は、見るからに治安が悪そうな裏町に放り出されていた。








  





 












俺 「・・・」

ケン「・・・」























俺 「なんか、あそこに中華料理屋見えんか?」
ケン「あるなぁ」
俺 「行ってみるか」
ケン「ほやな」

方針状態の俺たちは、なんとなく同じアジア人というだけで中華料理店なら
どうにかなるんやないかと、ふらふらと入っていった。
今の対日感情を考えれば、ありえない発想だが・・・当時はそうでもなかった。
ちゅうかっちゅうか・・・


(カランコロン)


店員のおばちゃん「・・・」(一瞥)

俺 「すみません、かくかくしかじかで・・・助けて」

店員のおばちゃん「ここは警察ちがうあるね。警察そのへんうろうろしてるよ」

俺 「その警察かもしれない奴等にやられたもんで・・・」

おばちゃん「知らん。食わんなら いねっ!!」



(カランコロン)








  











  



再び町に放り出された。


 ※ここは佛檀の山本従業員のblogです。

投稿者:与五朗(よご)at 11 :03 | 海外流浪 旅日記 | コメント(3 ) | トラックバック(0 )

一年たったもんで

今日は何度か書いている愛犬コチの一周忌。

やっぱ18年もいたので、完全に家族の一員でした。

ちょうど一年前の今頃、
死の寸前で、何度も痙攣しながら泡吹きながら意識も無かったのに
突然、最後に目を見開き、頭を上げ、
震えながら家族一人一人に顔を向けて目を見つめた。

その直後に息を引き取ったから、
なんか最後の別れやったんやろな、などと思いつつ、
あの目を思い出すと、今でも泣けるもんで。
こちのかお

投稿者:与五朗(よご)at 00 :14 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月26 日

一心不乱に

古仏壇のお掃除。

磨いて磨いてヤニや誇りやゴキの糞を残らず落とす。
塗り替えには及ばないけど、美しい艶が蘇る。

勤行を勤めさせて頂いているような充足感に満たされる。
磨く磨く

投稿者:与五朗(よご)at 13 :31 | 伝統工芸 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

無題

オカミさんのお父さんは、轢き逃げで命を落とされた。

犯人は薬物中毒で、泥酔状態で、常習詐欺犯で無免許運転でした。

結局、経済的な賠償能力は無いからと警察だかに言われ、
泣き寝入りだったそうです。
謝罪の言葉、手紙ひとつもなく、会わせてすらもらえなかったと。

犯人は民事的な責任を一切負わないまま、刑事責任のみを果たし
もう出所して社会に戻っているはず。

まだ新婚だった親方ご夫婦のその時の苦しみを
以前、オカミさんから聞かせていただきました。

もう20年以上たつのに涙を浮かべて話すオカミさんの表情は
今も傷が癒えていないことを物語っていました。

親方はその事件をキッカケに、
職業としての職人から本当の仏壇職人へと変ったと言っていた。

現在53人の死者が確認されたそうです。

その数十倍のご家族や友人や恋人の癒されない傷を思う。

血だらけで担架で運ばれる方々を映して流すTV局の連中に腹が立つ。




投稿者:与五朗(よご)at 01 :07 | 日記 | コメント(3 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月25 日

お れ た ち は フィッシュボーン で す か?

学生の頃、フィシュボーンのライブに行った友人から聞いた話。
彼らは間のMCで、カタコトの日本語で自己紹介をしたらしい。





会場・・・


 「ジャーン!!thank you!」(演奏終了


客「ワー、キャー」


フ 「Thank you,japan! We love Osaka!!]


客 「ワー、オォー、ヒューヒューだょ」




フ 「アメリカからおまえたちに会いにきたぜ!

  お れ た ち は
   
  フィッシュボーン

    で す か!?」




客 「!!??・・・ですか??」(笑






フ 「・・・」



フ 「お れ た ち は

  フィッシュボーン
  
   で す ね?」




客 「フィッシュボーン
  違ごたんかいっ!!」(爆







フ 「・・・」



フ 「お れ た ち は


フィッシュボーン

  
 で し た!!!」






客 「って


  過去形です


   から!!!」

 
      (大爆

 






フィッシュボーンのトンチンカンな日本語と
大阪人の隙の無いツッコミで大爆笑に包まれたそのライブは
年間10本はライブに通っていたその友人にとっても
忘れえぬ思い出のライブとなったそうだ。


最近、水墨の合間の筆遊びにトンパ文字で落書きしている。
文法がわからないので適当に単語を並べて文章にしている。

「実は変な文になってるんやろなぁ」
と思っていたら、ふと10年以上前に聞いた話を思い出したんです。
おれたちは仏壇職人ですか?

投稿者:与五朗(よご)at 10 :08 | 日記 | コメント(5 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月24 日

職人をその気にさせる裏技

修復仏壇のお引取りはたいてい土日祝日になります。
お客様が家族みんなで立ち合われるからです。

今日も午前中にお仏壇を一本、引き取りに行ってきました。
お母さんは数年来、仏壇をきれいに直したいと思いながら
ようやくかなうので、本当にうれしそうにしておられた。
笑顔

職人(特にうちの親方のようなタイプ)
にいい仕事をさせる裏技をひとつ。

「最高の笑顔で現場に立ち会う」ことです。

そんな笑顔で期待一杯の表情のお客様を見ると
さらに期待以上に実現してもっと喜ばせてあげたい!
と、よりいっそう気持ちが入るようです。

全ての仕事に全身全霊で打ち込むのは勿論ですが、
職人も人なので、そこにさらにプラスアルファの
感情が入ると・・・

自分の仕事にこだわりと誇りを持っている職人さんほど
信頼され、期待されると火がつく傾向があるようです。
(さりげなく手前ミソですみません)

投稿者:与五朗(よご)at 12 :27 | 伝統工芸 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月23 日

塗り板は摩周湖のよう

蝋色磨きの板があがってきた。
鏡面のように磨き上げられた仕上げだ。

板を横から覗き込む。

向こうの景色が綺麗に映りこむ。

このとき、障子など直線の多いものを見て
面に歪みがないか確認する。
漆鏡

親方が塗りあげた板を見ていると
摩周湖を思い出す私であった・・・(大げさかな?)
鏡みたいな摩周湖





投稿者:与五朗(よご)at 12 :35 | 伝統工芸 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月22 日

スキマ草

この季節になると、増える仕事が
店の周囲の草むしり。

私は水墨を習っていながら、今自分が書いている
画題が殆んど分かってないほど植物の名前には疎い。

だからコンクリと壁のスキマから生えてくる
根性のすわった彼らの名前は分からない。

ちぎると白い汁が出てくる奴は嫌になるけど。
指先がネチャネチャして砂が付いて気持ち悪いから。

しかし、私にも分かるタンポポは
なんかカワイイのでそのまま残しておく。
たんぽぽとダンゴ虫


追記をみる

投稿者:与五朗(よご)at 12 :21 | 日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月21 日

幻の和傘 「ぶんか仕上げ」

匠倶楽部の長老、金沢和傘の松田さんから

「戦前に傘屋が華を競って造った『ぶんか仕上げ』いう傘があった」

と聞かされた。

和傘の骨や軸に漆を塗りこみ蒔絵を施したものだそうだ。
往時、200件を越えた和傘屋も今では松田傘・ちょうちん店だけ。

「ぶんか仕上げ」という、金沢固有の和傘は最早
松田さんの記憶の中だけに存在する幻の傘となってしまった。

「なんとかわしの手で復活さててみたいもんじゃて」

確かに匠倶楽部のメンバーならできる。

皆さん、私は日本で唯一の幻の和傘「文化仕上げ」は
の復古は大変魅力的な企画ではないかと思うのですが
ご意見をお聞かせください。

ぶんか仕上げ!
↑きっちり閉じると蒔絵が浮かび上がる。
 松田さんの証言を元に再現してみました。

投稿者:与五朗(よご)at 09 :43 | 伝統工芸 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月20 日

書きたいことは山とあれど

書きたいことはいろいろあるけど、
それにまつわる絵を付けるとなると
なかなか書けない。

特に滅入り気味の日などは。

ほんで今日は不思議なサイトを紹介です。



まず二桁の数字を思い浮かべて
53とする

 ↓

二つの数字を足す
5+3=8

 ↓

最初の数字から計算して出た数字を引く
53−8=45

表の45の記号を暗記して下さい。
そんで大きな水晶をクリック!!!

数学の得意な人、なぞを解いてください。

テレパス水晶??

投稿者:与五朗(よご)at 20 :02 | 発見 | コメント(3 ) | トラックバック(0 )

・・・

よごろーです

投稿者:与五朗(よご)at 01 :08 | 日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月19 日

ホリエモン

わずか2ヶ月で450億も稼いで、
結局乗っ取りだったら十分な成果をあげつつ
乗っ取りやとして非難されることを免れ
むしろ、痛み分けなどと評されて

ホリエモンさんは実は
最高の決着やったんやないの?

素人なので良く解らんので
「ぶろぐって何だろう【株編】」のM宇來さん、
大河の続きをお願いします。

投稿者:与五朗(よご)at 09 :35 | 日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月18 日

図解 美川仏壇ができるまで

親方に、飲んで騒いでばかりでぜんぜん仕事してない
仏壇工房みたいに思われると苦情をいただき、
今回ちょっとまじめに美川仏壇の製作の流れなどを。

美川仏壇は

「木地、下地付け、塗り、箔押し、金具、蒔絵、箔彫り、木地彫り、ロイロ磨き、組み上げ」

の工程ごとに専門の職人が仕事をする分業で
成り立っています。

このうち、

「木地、下地付け、塗り、箔押し、組み上げ」

を当工房が担当します。

図解 美川仏壇ができるまで
↑黒矢印は自前、青矢印は職人さんへの外注。

これだけの職人の手仕事で成り立っているので
注文を頂いて完成するまで一年前後かかります。

かつ、手仕事、総天然材料なので
ちょっとお高くなってしまします。

でも100年、200年と保つのですから長い目で見ると
経済的なのですよ。

投稿者:与五朗(よご)at 11 :24 | 伝統工芸 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月17 日

焚き火で花見

親方の家の近くの公民館で花見でした。
20本程の木がある広場を貸切状態です。

夜はさすがに寒いので、近所の工務店のおやじさんが
端材をもってきて焚き火を開始。

昔ながらのおおらかな里だからこそできる
焚き火花見に盛り上がったのでした。
焚き火で花見

投稿者:与五朗(よご)at 12 :41 | 日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月16 日

酔っぱらって

酔うてます。

桜きれい。

バーベキュウ楽しい。

思い切って持って行った「久保田」

うまかった。

眠いので詳細は明日

投稿者:与五朗(よご)at 23 :07 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

夜の水面に桜の霞がかかるとき

水面に映る桜並木をペイントで書いてみました。
水鏡夜桜

いやぁ、何度事故りかけたか。
桜に見とれた運転で・・・

夜桜は恐ろしいくらい美しいですなぁ。

しかも昨晩は散り始める間際の
パーフェクトな満開ではないですか。

北陸の冬はどんより気が滅入るだけに
華やかな桜の季節の感動は他の地方以上だと思うのでした。

投稿者:与五朗(よご)at 12 :35 | | コメント(0 ) | トラックバック(1 )

2005 年4 月15 日

金具が一個・・・

仏壇の修復の仕事が立て込んでいる。

おととい、私が金具をはずして高岡の鋳物屋さんに送った仏壇。
今日、一個だけはずし忘れが発覚。一個だけをまた送るハメになりました。

しかも、作業に没頭していた私に気を使った親方が手配して。

スミマセンでした。
金具

投稿者:与五朗(よご)at 12 :56 | 伝統工芸 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月14 日

筆ペンで書く 

午前中は、親方と二人で筆ペンと格闘でした。

親方は字は上手いが、
大切な手紙に、緊張して書き損じの繰り返し。

私は、小学生高学年で成長が止まった悪筆です。
普段は手書きはしないが、親方が手紙に懸かりっきりなんで、
仕方なく商品の値札に取り組んでみたものの失敗の雨アラレ。
手紙を書く
↑さすがにこんなことは無い。誇大表現です。

たいした量ではないのに、たっぷり時間と墨と紙を費やしました。

費やしたにも関わらず、私の字はとてもミットモないので
やっぱり、親方に書かせようと企てている。

なんとも無駄の多い試みでした。

投稿者:与五朗(よご)at 12 :52 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

工房道具図鑑C 塗師屋刀

工房道具図鑑C 塗師屋刀

ヘラや漆刷毛の切り出しに用いる、塗師屋専用の刀物。

塗師屋刀

投稿者:与五朗(よご)at 01 :26 | 伝統工芸 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月13 日

初めての掛け軸

先週、水墨画の教室でつる薔薇を水墨で書きました。

今日はそれを掛け軸にしてもらいます。

水墨はもんすごい疲れるので、ペイントの絵ばかり書いてる
今日この頃に反省。

薔薇
↑こんな絵ではないです

投稿者:与五朗(よご)at 10 :04 | 伝統工芸 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月12 日

欲しいんです

工房仮想(夢想)図鑑@ チョッパーニッパー

小さな金具が大量に打たれている仏壇において、
修復や供養等で金具を外すときに使う専用ニッパー。

(特徴)

・小さくて強く打ち込んである釘でも抜けるよう、鋭く強い刃先。

・繊細な金具を傷つけぬよう、鋼部の背面には樹脂コーティング。

・抜く際のテコの動きを最もスムーズにする絶妙な刃の角度。

・テコの可動幅を広げるため、チョッパー型のグリップ。
 (これで、もう指の第一関節を擦りむくとこはありません)

チョッパーニッパー
 
だれか、開発していただけませんか。(市場は大変小さいです)

追記をみる

投稿者:与五朗(よご)at 17 :36 | 伝統工芸 | コメント(3 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月11 日

金箔押し 

親方が箔押しの工程に入っています。
箔押し

上塗りや箔押し等の工程のとき、
私はなるべく親方の作業部屋には近寄りません。
緊張と集中の空気を乱さないためです。

うちは金箔の主材を縁付箔五毛色を使っています。
これは伝統的な手打の最高級金箔です。

昔まだ親方が弟子だったころ
金箔押しで失敗すると師匠から

「また、中瓶一本!」

と怒鳴られプレッシャーを掛けられたといいます。
一枚の失敗が、ビール中瓶を割るのと同じだという意味ですね。

酒好きの職人衆の間では大変効果的な言葉だったんでしょう。

親方はそんな縁付五毛色箔を、
さらに天然の漆で接着することにこだわる。
(漆は乾き具合の見極めが難しく、専用接着剤が一般的)

しかし、金箔の種類や塗技法、木地、国産天然漆など
一般の人には伝わりにくいところを敢てこだわる人なので
ものづくりの職人さんなど、解かる人には信頼されるています。

投稿者:与五朗(よご)at 10 :48 | 伝統工芸 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月10 日

室内花見のご案内

春でして、他のblogの様々な画像を楽しんでいるのですが、
絵日記も奮起して、春の絵を描こうかなと。

ほんで岐阜県は根尾の薄墨桜です。

いま、私の通う寺井の画材屋「ミドリヤ」さんの二階ギャラリーで
野々市在住の日本画家の中原信子先生が個展をやってるんです。

薄墨桜に惹かれて、薄墨桜を描くことをライフワークにしている
話してみると豪放磊落な女性です。

先生の絵は圧倒的な迫力があって見ごたえがありますよ。
お暇ならぜひ、インドアなお花見もいかがでしょう。

薄墨桜 

投稿者:与五朗(よご)at 13 :02 | | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

春眠民

昨日の京都行の疲れと寝不足に
昨日は春の陽気も加わった時の睡魔は暴力的です。

運転中ですら意識を失ないかけた瞬間が・・・
絵は昨日の運転中の私の顔です。
春眠

危険なのでコンビニの駐車場で少しオヤスミしました。


投稿者:与五朗(よご)at 04 :07 | 伝統工芸 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月9 日

京都、御仏を彫る工房へ

しばしば京都に行く。

今回は当代屈指の仏師さんに深くお話を伺う機会を得られた。

もともとどの職種でも、業を極めた職人さんの話す言葉には
私を魅了する力が秘められているし、
その手による品は、強力な気を発していると思う。

一心に御仏を彫り続け、全国の寺社のお仏像を手がけ、
文化財の修復を行ってきた方の言葉を伺える幸せ。

技術的な説明、歴史的な考察、生業としての厳しさ等、大変興味深く拝聴。

言葉の端々に御仏像を彫る仕事を心から愛し、誇りを持たれている
ことが伝わってきます。
何か命を削って彫っているのでは、と思うほどの気迫がひしひしと伝わり、
その作品は周囲の空間を圧する、圧倒的な存在感を持っていました。

この仕事をしていればこその、こうした機会に心より感謝します。



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投稿者:与五朗(よご)at 11 :07 | 伝統工芸 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月8 日

西へ!

今日は京へ営業廻りです。

昨年の大河「新撰組!」にはまった私は
行きたいところがてんこ盛り。

しかし、いつも日帰り強行軍で何も見れないのです;;

ちなみに、若い頃2年も京に住んでいたのに
全く寺社仏閣、美術博物館の類は見ておりません。
ひたすら木屋町で飲んで騒いでた気がします。

勿体無い日々です・・・
西へ!
追記をみる

投稿者:与五朗(よご)at 01 :10 | 伝統工芸 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月7 日

木地工房 「木の香」浴

年初に頂いた仕事は、大変こだわりのあるお客様からのご注文です。

最初に材料、形、造り、塗り、蒔絵、金具、彫り、障子、
すべてにおいて細かい打ち合わせを行いました。

今日はその佛壇の木地の途中段階を確認するため、
小松の木地工房へ。

まだ、宮殿ができていませんでしたが、このまま
塗らずに仏間に納めてもいいくらいの風格でした。
木地の確認

※ 私は木地工房の木の香が大好きでして、
  リフレッシュ目的で足を運びます。

投稿者:与五朗(よご)at 12 :53 | 伝統工芸 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月6 日

国宝 弥勒菩薩 広隆寺(京都)

以前 水墨で挑戦して今だ未完成。

そこで一足先にペイントで作成してみました。

(ただし取り込んだ画像を元に加工したので
 この絵日記的にはルール違反)
弥勒菩薩

投稿者:与五朗(よご)at 22 :20 | | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

工房道具図鑑B すり粉木・すり鉢

工房道具図鑑B すり粉木・すり鉢

墨渋を合わせるときなどに用います。
すりこぎ

投稿者:与五朗(よご)at 12 :04 | 伝統工芸 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

仕事のBGMは

親方  ・・・MRO
河村さん・・・演歌のCD(HRのような大音量)
永島さん・・・無音
私   ・・・FM(午前のセサミがお気に入り)

しかし、集中を要するときはmisiaなんかいい
misia

投稿者:与五朗(よご)at 02 :12 | 伝統工芸 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月5 日

喫煙者の苦悩 うちの工房の場合

うちでは、喫煙者は親方だけです。

一年ちょっと前までは私も一日2箱の重喫煙者だったのですが、発作的に止めました。

私達は気にしていませんが、こういう状況では実は親方がかなり気を使われてるみたいです。

親方の工房なのに、非常に私達に申し訳なさそうにタバコを吸う姿。

親方の車なのに、「タバコいい」と断わってから吸う姿。

つい、一年前までそちら側だっただけに、なんかわかる。

いいじゃないっすか、親方の城だ。

好きなだけ吸ってください。タバコ
↑ミーティング中も一人、気を使いながらタバコを吸う親方

投稿者:与五朗(よご)at 13 :13 | 日記 | コメント(3 ) | トラックバック(0 )

ペルー 〜スモッグとパープルヘイズの都で〜最終話

ひとしきりリカルドをいじめた後、ノッポは俺の目を見て静かにいった。

「ふぅ・・・このままでは君たちを逮捕せなならん。無実であるなら、素直に身の潔白を明かしてほしいんや」

バイオレンスシーンの直後の、静かでこちらの身を案ずるような言葉使い。ふーっと俺たちは疑念を無くし、彼らを本物の警察であると認めたい心境に陥った。

そう思い始めたとたん、何より怖いくなったのは誤認逮捕だった。
地球の裏側、ペルーの監獄で青春を終わらせるのは嫌だぁ!!ああ、もう会えないのか、カワイイあの娘よぉ!!!

「もう、バッグから腹巻から靴下の中まで何でも調べてくれぇ。早く無実を認めてくれぇ〜」

今までの警戒モードは一機に崩れ、もうまな板の上の鯉で、すっかり貴方にお任せ状態だった。
心理

助手席の筋肉がすばやく俺たちの荷物を取り調べ始める。

後ろからジーッとその作業を見つめていると、ノッポが矢継ぎ早に話しかけてくる。
必死に聞き取って、答えているとどうしても目はノッポを向けなくてはならなかった。なかなか、筋肉の手元に視線を送れない・・・
まだ、どこかで不安は残していたから。

やがて2、3分だっただろうか。筋肉が振り向いて、ノッポになにやら耳打ちをした。
するとノッポは俺たちを見ていった。

「君たち、悪かったな。何も出てこーへんかったな。無実が証明されたってこっちゃ。
じゃ、俺たちはリカルドを署に連れて行くから、君たちはここで降りてええよ」

リカルドはうつむいてまだヒックヒックしている。

筋肉が俺たちの腹巻やらポーチやらを一つのリュックに詰め込んで、一塊にして俺たちに返してきた。

キィーッ

車は汚いダウンタウンの路地に急停車し、俺たちはそこで降ろされた・・・
というより放り出された・・・

「・・・」

「!、ケンイチ、リュックの中調べてくれ!」

ガサゴソ・・・




・・・地球の裏の見知らぬ路地で、俺達は日本円で100円ずつの懐となってしまっていた・・・
パスポート、飛行機チケット、そしてホテルまでのバス代を残してくれたのは彼らの良心なのか・・・

乾いたスモッグで黄色く濁った青空を見上げた。汚いが乾いた空気だ。悪辣だがしかし、あまりに見事で鮮やかなサギッぷりに感動すら覚えつつ立ち尽くした。

この後、無一文の俺たちの滞在残日一週間の戦いが始まるのだが、それはまた別の機会に・・・
どこ

投稿者:与五朗(よご)at 01 :33 | 海外流浪 旅日記 | コメント(4 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月4 日

ペルー 〜スモッグとパープルへイズの都で〜D

素直に荷物を渡さない、俺達に業を煮やしたノッポは不意に矛先をリカルドに向けた。

(ノッポ)「ボケェ、リカルド!!てめぇから所持品検査じゃぁ!!!」

(リカルド「なんもありまへんて、堪忍やぁ、堪忍やぁ〜〜〜」

(ノッポ)「お前はどうせまた、ここやろがぃ!!」

ノッポは突然、俺達二人の前に身を乗り出しリカルドの左足首を手に取り、乱暴に持ち上げた。

・・・・ポロッ・・・・ 

(俺達)  「!!!」

(俺達)  「???」
でたぁ


なにか小さな包みが、リカルドの汚い足と雪駄の間から零れ落ちた。
すかさず、ノッポはそれを手にとり、俺達に

(ノッポ) 「証拠や、これはマリファナやな。ゆうたとおりやろ、こいつは売人や。こいつと一緒やったかぎり、あんたらも言うとおりにしてもらわんとな」

(ケン)ヒソヒソ「なんや、えらいことになってきたなぁ」

(俺) ヒソヒソ「どうするよ?」

まぁだ、俺達は渋った態度を見せていた。

しかし、ノッポは俺達のその態度の中に動揺を見て取り、一気に豪快で巧妙なツメに入った。

(ノッポ)「リィカルドォ、テメェのせいで、こんな日本の方々にまで嫌な思いさせなあかんやろ。ああん!!。このガキャ〜」

と言うようなことを、叫ぶやいなや再び俺達の前に身を乗り出し、本格的で無慈悲な拳をリカルドに見舞ったのだ。

「堪忍やぁ、堪忍やぁ〜」

ボカスカボカスカ・・・

あまりの本気具合。リカルドは本当に泣き喚いていた。

そして懐から出した手錠をオモムロにリカルドの両手に掛けた。

ヨ・ヨ・ヨと崩れ落ちるリカルド。

ここにいたり俺達はようやく、わが身の潔白の証明に全力を注ぐことにしたのだった。
殴打リカルド

投稿者:与五朗(よご)at 15 :09 | 海外流浪 旅日記 | コメント(1 ) | トラックバック(0 )

ペルー 〜スモッグとパープルヘイズの都で〜C

旧型のあのビートルに大男二人を含む6人が状況は想像できるだろうか?
イメージ化すると↓のような感じだった。
すし詰め

しかも、真っ直ぐ進んでいない。

運転主は常にハンドルを大きく右に傾けていた。
それでようやく直進できるようだ。

俺の横のノッポは仕切りに荷物検査をしようとした。
しかし警戒を解いていない俺達は簡単には荷物をやつらには委ねなかった。

反対の窓側で潰れているリカルドはあいも変らず

「旦那ぁ〜、許してくだせぇ」
とベソをかいている。(大人の男のベソを見るのは初めてだった)

なかなか言うことを聞かない俺達にたいしノッポは、
なだめたりすかしたりしながら俺達の信用を得ようと必死だった。

以外にも力ずくではこなかった。

しかし、どうにも俺達が折れそうに無いと判断したとき、ノッポは驚くべき行動をとったのだった。

投稿者:与五朗(よご)at 02 :07 | 海外流浪 旅日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月3 日

ヨハネパウロ二世の訃報を聞いて・・・

リマで事件に共に巻き込まれたケンイチは敬虔なカソリックで、学術的な視点から宗教に興味深々だった私は、しばしば彼の教会についていった。

そこで、神父さんや宣教師の方々に様々なお話を聞かせていただいた。

私は仏壇の世界にいるが、他宗を否定すること、否定する人、否定する宗教に限っては嫌いである。

そういう意味でも、混沌とした世紀末からこの21世紀にかけて、法王が地球上の宗教世界に果たされてきた功績は、数百年後も歴史書で称えられるべき偉業だろう。

う〜ん、この言葉ではずれている気がしてなりませんが

ご冥福をお祈りいたします。

投稿者:与五朗(よご)at 18 :57 | 日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

ペルー 〜スモッグとパープルヘイズの都で〜B

早撃ちマックのような、目にも止まらぬ警察手帳(?)の提示。
ごついが、何か崩れた感じの身なり。
そして、場所は治安の悪いペルーはリマ。

のぼせ上がっていた俺たちだが、8割方偽者と踏んでいた。

「俺らは外国人観光客を守る観光警察や。一緒にいるこの男(リカルド)は旅行者、食い物にするヤクの売人やで。今、お前ら麻薬買うとったんやろ?」

2割は本物の可能性も残している。
一応身の潔白も伝えなくてはならない。

(俺)  「俺たち、今会ったばかりで、夜のパーティに誘われただけだ」

(ノッポ)「しかし、今リカルドのボケェ、ポケットに何ぞなおしたん見たで。金渡したんちゃうんか!?」

(ケン) 「違ごて。あれはメモ書きや。調べてくれ」

(ノッポ)「ほんな、調べるから取り合えず署に行きましょか」

(俺たち)「・・・・」

(俺)ヒソヒソ「ケンイチ、どうする?かなり怪しいな」

(ケン)ヒソ「ほやけど、万一ホンモンやったら変に拒むとヤバイぞ」

ちょうど、シンガポールで日本人が麻薬取締法で何年も収監されていると話題になっていた頃だ。しかも、無罪の可能性がありながら・・・

(俺)ヒソヒソ「取り合えず、付いていくか。でも、警戒と逃げる準備はしとこうや」

万一、という可能性に縛られた。
今でもどう判断すべきだったかは分からない。
あえていうなら、リカルドの言葉のマジックに引っかかったことが全てだった。

(筋肉) 「車、待っとる。こっちこい」

路地に出て案内されたところにパトカーらしき車は無い・・・

(俺たち)「???」

(筋肉) 「乗れ」

(俺たち)「!!!」

スクラップ場から持ち出されたような黄色のビートルのタクシーが一台・・・
無表情に運転手のオッサンが前を見つめている。
ビートル

(俺)ヒソヒソ「乗れって、ビートルに大の男が6人って、無理やろ・・・」

(ケン) 「お前ホンマに警官か?ちょっともっかい手帳見せて・・・」
ケンイチが再度、警官が本物か確認しようした。
が、それををさえぎるように突然リカルドが
 
(リカルド「勘弁してくれ旦那ぁ〜!!!」

と男二人の手を振りほどき叫びながら逃走をはかった!

(筋肉) 「待てぇ、こんくそガキャ〜!!!」

見るからに虚弱なリカルドはあっという間につかまり、引きずられて、ボコボコに殴られながら戻ってきた。
堪忍やぁ

(リカルド「勘弁してくれ旦那ぁ〜。勘弁してぇ」

(俺たち)「キョトン・・・」

あっけにとられたまま、気がついたら、俺たちもリカルドと一緒にビートルに乗っていた・・・


※ここは佛檀の山本従業員のblogです。

投稿者:与五朗(よご)at 12 :57 | 海外流浪 旅日記 | コメント(2 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月2 日

ペルー 〜スモッグとパープルヘイズの都で〜A

リカルドと夜のパーティの仔細を聞き、夕方に再度待ち合わせようという話になった。すると

「ちょっと待っててや、な、な、待っとってな、頼むで」
と念を押して、奴は広場の人ごみの中に走っていった・・・不自然に時折、こっちを振り返り、俺たちの姿を確認しながら・・・

視力2.0以上を誇った遠視気味の俺は、ずっと奴の姿を追っていた。
すると広場の向こうの建物の影でチラチラこちらを伺いながら
何やら何人かの人間と話している様子だ。

あやしい・・・明らかにあやしい・・・

再びセンサーが赤色ランプを点した。

「なぁタロー(当時の俺のあだ名)、やっぱめっちゃヤバそうやで。シカトしようや」

ケンイチも同じく何かを感じ取っていた。

「行こか」

俺たちが立ち去ろう歩き始めると、慌ててリカルドは戻ってきて言った。

「堪忍なぁ。連れを見かけて。時間ないんやったら宿泊先の電話だけ教えとってや。また連絡するし。今日はモデルエージェントの娘らとのパーティやから」

なぜだろう・・・彼の言葉にはどういったマジックが隠されている・・・
俺たち脳みそはコウルサイ危険センサーの電源を強制的に落としてしまった。

何かが切れた二人は再びリカルドと広場のヘリに腰掛けた。
打ち合わせ

「ほな、この紙に名前とかホテルとか電話番号とか書いてや、あれ、ペンどこいった???」

もたもたと、ペンを探しているので俺は自分のペンを出した。

「これに書いたらいいんやろ、ほれ」

「いや、これ読みにくい、もう一回こっちに書いてくれ」

うだうだと面倒臭いやつだ。しかし、それは奴の作戦だった。

モタモタと十数分が過ぎた頃、突然、正面を向いたリカルドが声を上げた。

「ひぃっ!だ、旦那」

目の前には背の高いグレー背広と筋肉の塊のような黒い背広の二人組みが立っている。

「観光警察だ。お前達には麻薬売買の嫌疑がある。ちょっと署まで来てもらおう」
内ポケットから出して提示した警察証のようなものは、一秒で元のポケットに戻された。なんかソレっぽいものが出てきた、くらいにしか認識できなかった。
刑事(デカ)登場

(きたぁ〜、ニセ警官かぁ!?なんかわけのわからん展開に突入してきたぞぉ!!!)

そのときはまだ、即座にニセ警官と疑い警戒できる程度に意識はしっかりしていた。


※ここは佛檀の山本従業員のblogです。 

投稿者:与五朗(よご)at 11 :41 | 海外流浪 旅日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

ペルー 〜スモッグとパープルヘイズの都で〜@

9年前の今頃、俺は南米はペルーの首都リマにいた。

相棒は大学の親友で敬虔なカソリックにしてテコンドー部主将の
ケンイチだ。

その日は日曜日。
二ヶ月かけてマチュピチュやチチカカ湖、ナスカを回り旅の終盤を迎えつつあったころだ。

カソリックのケンイチは毎週日曜日は近くのカテドラル(教会)でミサに参加した。
のちに仏壇の道に進む俺であるが、当時はあらゆる宗教に対して学術的好奇心で、貪欲に首を突っ込む若者だった。だから極力ミサにも一緒に参加した。
その日は、リマの大聖堂のミサだった。
大聖堂はセントラルパークにありで大統領府と隣接していた。

ミサが終わり大聖堂の前の石段に腰を掛けて、アイスに舌鼓を打ってると・・・
向こうから見知らぬ陽気なアフロの男が笑顔満面で駆け寄ってくる。
大聖堂

「いよぉ、まいど!調子はどないでっか?
 にいやんら、日本人でっしゃろ。
 わて、めっちゃ日本人すっきやねん。
 なんせ、ペルーゆう国は大統領も日系人のフジモリやしなぁ、
 国民を上げて日本人ファンや」

昔からのダチのように肩を抱かれながら、まくし立てるように話しかけられた。

「お前、何もん?ちょっと馴れ馴れしすぎひんか?」

腕に覚えのあるケンイチはちと警戒しながら凄んだ。

「なになにぃ、怖いわぁ、にいやん。なんも怪しいもんちゃいまんがな。」

アフロで雪駄履きで、アロハシャツで前歯が一本も無い馴れ馴れしい初対面の男。
リカルド登場

「怪しすぎるわぃ!!!」
俺とケンイチのダブルツッコミが冴える゚・*:.。. .。.:*・゜

トラブル続きの南米の旅で鍛えられた危険センサーが反応する。

コイツはヤバイ・・・気をつけろ・・・

ヤツは少しも動じることなく相変わらずのフランクなノリで話を続けた。

「いや、なにね。今日、パーティがやりますねんけどな。ボンキュッボンの女の子が ぎょうさん来ますねや。ほやけど、男がもひとつ集まらんもんで誰かいぃひんか探してましたんや。ほんで、ちょうど暇そうなおたくらを見つけたゆうわけや。」

・・・

コイツはいいヤツだ・・・アミーゴ・・・

ヤツの言葉には危険センサーを狂わせる呪文でも混ぜ込まれていたのか・・・
そのときの俺たちの心境の変化の理由は未だにわからない。

ただ、俺たちは次の瞬間からアミーゴと化し、三人で頭を寄せ合い、
スケジュールの調整をしはじめていた。

浮かれた俺たちには、この後人生二度目の恐怖の体験が待ち構えていることなど知る由もなかった。


※ここは佛檀の山本
従業員のblogです。

投稿者:与五朗(よご)at 05 :18 | 海外流浪 旅日記 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

2005 年4 月1 日

プロジェクトXを見て

前回のプロジェクトXを見ましたか?

実は私は見逃しました。

たたら製鉄の復活を目指す男達の物語(かなり熱い)
だったそうですが、親方は鳥肌が引かなかったと
熱く語っていたもんで。
かなり、興奮していたもんで。
(最近nsk blogの「バリバリいわせるだもんで」にハマって
 口調が移り気味だもんで)

早速プロジェクトXのHPで確認。

ほんで見ればよかったと後悔です。

しかし、74歳で三日三晩の不眠作業を遂行した
安部由蔵氏の表情には神々しさすら感じました。
nitenai
↑似てなくてスミマセン

日本の先人達の素晴しさにあらためて尊敬の念を禁じえません。
そして日本人であることに誇りを持たせてもらえました。

投稿者:与五朗(よご)at 18 :35 | 伝統工芸 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

岐阜の路面電車の思い出

岐阜には20代半ばに3年位いた。

路面電車には乗ったこともなかったけど
岐阜のことを思い出すと
必ず路面電車が風景に溶け込んで存在していた。

その岐阜市の路面電車が昨日で終わったらしい。
路面電車:94年の歴史に幕.

なにか、めっちゃさみしい。
(能登鉄道の廃線もさみしいけど・・・)
岐阜

投稿者:与五朗(よご)at 04 :47 | 伝統工芸 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

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