2015 年10 月21 日
ヒゲキタ一代記
原稿を頼まれて書いたのだが、文字数を間違えてて大長編になってしまった。半分くらいに削らなくてはならないが、もったいないのでもとの原稿を載せてみる。推敲してないので読みにくかったらご勘弁。もの作りで食べていくことがテーマだ。祖父が大工で父は漁師。家には和船の小舟があった。祖母は関東大震災の頃東京で縫製工場で働いていたらしい。父は漁具を作ったり修理したり、自分の船のディーゼルエンジンをいじったりしていた。田んぼはなかったが、畑が少しあり、母は今でも野菜を作っている。納屋には稲わらが積んであり、ぞうり編みやむしろ編みの道具があった。まあ、これは田舎ではどこの家にもあったはずだ。
小学校のころは身体が小さく外遊びよりも、家でハサミで箱を切ったり紙工作をしているような子供だった。年の近い叔父が、トイカメラで写真を撮ったりしていて、ハンダ付けなんかも教えてくれた。プラモデルもいくつか作ったが、模型とラジオ誌に載っているボール紙のミニカーや紙飛行機、マブチモーターを使った工作などが好きだった。
アポロ11号が月着陸したのは小学校の頃。そこから宇宙に興味をもち、父の船にあった双眼鏡で皆既月食をずっと眺めてスケッチした。大阪万国博覧会にもいったが、そこでIBM館だかで電気タイプライターで葉書を書こうみたいなコーナーがあってやってみたのだが初めて見るタイプライター、シフトキーなど全然わからずキーボードが嫌いになってしまった。これはパソコンに触るのが遅くなる一因になった。宇宙への興味は学校図書館にあったSF小説に移って行き、工作はあまりやらなくなっていった。
高校の図書室にあった科学雑誌は毎月楽しみだった。日経サイエンスの数学パズル、科学朝日のメディアアートで3D画像を知ったり。だが小説ばかり読んで勉強しないので、理科、英語の成績は悪くて大学は経済学部に進学した。
大学では天文サークルに入り、高原でキャンプして流星観測したり、星野写真を撮ったりすることを憶えた。白黒写真の現像焼き付け、キットで望遠鏡を作ったり、反射鏡を買ってアルミフレームの反射望遠鏡を作ったり、反射鏡を研磨したりして工作熱がよみがえってきた。サークルには機械工学科の人もいて工具などを借りたり教えてもらったりした。
天文工作の本で簡易プラネタリウムの記事があり、本は買わなかったがアルミボウルに星図の通り穴を開け、中心に豆電球を入れて映し出すことはわかったので、個人的に作ってみることにした。個人的にというのは、当時からピンホールプラネタリウムは大学天文サークルの学園祭の展示として定番になっていて、たいていはサークルのプロジェクトとして製作されていて個人的にはあまり作られていなかったようなのだ。
直径20センチのアルミのキッチンボウルを買って来て星図をプロットし、ピンバイスや小型手回しドリルで星の等級に合わせて穴を開けていく。センターポンチも打たないで手回し式ドリルなのでぶれやすく、またドリルの刃は細くすぐに折れた。最後のほうになると始めから短く折って使っていた。厚さ0.5ミリのアルミ板にあなを開けるのに30ミリも長さのドリル刃はいらないのだ。1週間かけて4等星までの約700個の穴を開けて部屋の壁や天井に映してみると豆電球のフィラメントの形が若干目立つ以外はわりときれいだった。
しかし、これは大失敗作だった。星座がすべて裏返しだったのだ。立ち読みで作り方をわかったと思ったのが間違いだった。星図をそのままボウルの表面にプロットしていたのだ。内側からの光源で映し出すわけなので内側からみて正しい向き、つまり星図を裏返しにプロットしなくてはならなかった。普通途中で気付くよね。かくして最初のプラネタリウム投映機は黒歴史として闇に葬られた(捨てた)のだった。
落胆は大きかったが、幸い誰も知らない事。なかったことにして今度はかなり設計に時間をかけた。回転する恒星球に電気を供給するには回転接点がいるのだが、これは必要か? EX電球というプラネタリウム用光源があるのだがこれは必要か? 南極の恒星は必要か? 等級による穴の大きさの違いはどれくらいにするか? などなど。最小限の構成で確実に動くものをと考えた。星図はトレーシングペーパーで裏返しにトレースした。
手に入る一番細いドリル刃は0.2ミリ。この穴を最微恒星5等星にする。南極はないが南十字星あたりまで開けると恒星数は約 2000個。4等星の約3倍。1等級下がるごとに星の数は3倍に増えるのだ。まずボウル表面に経緯線を書き、星図からプロットしていく。星座の線もアタリとして書き込む。等級によってペンの色を替える。そしてひとつひとつ穴を開けて、終わったら星図をチェック。果てしない作業だった。なぜプラネタリウムが個人的に作られなかったか理解した。1週間くらい寝食を忘れて集中したが後年、1等星のアークトゥルスを開け忘れていたことがわかった。5等星とかにもいくつか忘れているに違いない。
部屋の天井に映してみた。いくつかの豆電球からフィラメントのなるべく小さいものを選んだのできれいに投映できた。初めてドームも作った。ベニヤ板を細く切り円形に丸め、ひもで半球型になるようにつないで白布をかけた提灯のような構造のドームだった。サークルの仲間に見せると好評だったので学園祭に展示することになった。
サークルの仲間が高校の時から天文部で学校に組み立て式の直径3mのドームがあるというので借りて来てもらった。ペンライトで矢印ポインターや星座絵の投映機を作り、メンバーの交代で解説した。お客さんはあまり来なかったが自分が作ったものを見て喜んでもらえたのは楽しい体験だった。
サークルではガリ版印刷で会誌を発行していた。字はへたくそだったが、イラストなどは描けたので、題字やカットなどを描いていた。卒業して田舎に帰っても仕事はないだろうと、県庁所在地まで帰って仕事を探した。いわゆるJターン。新聞の求人広告で見つけたグラフィックデザインらしき会社は写真植字という仕事だった。研修に1ヶ月くらい行って仕事を始めた。
スナックをやっている叔母以外は誰も知ってる人がいない街だったが、地元の天文同好会を見つけて入会したり、繁華街も近かったので毎晩飲みにいっていた。部屋は変形の3畳間で狭かったが直径2.5mのドームをヒノキ棒と布で作ってプラネタリウムを投映した。たいていサークルの学園祭プロジェクトとして作られるプラネタリウムはサークルのもので、代々改良されたり、そのまま使われたり、修理できなくて廃棄されたりするものなのであるが、個人的に作ったので持ち帰ってきていたのだ。天文同好会のメンバーや飲み友達にみせたりしていた。
1985年、入社して2年たった頃、なにか煮詰まっていたのだろう突然欠勤してサークルの先輩の実家があった筑波に向かっていた。つくば科学万博が開催されていたのだ。先輩の家に泊まり、3日間見てまわった。特に見たかったのは富士通パビリオン。つくば科学万博は当時映像万博とも言われ、巨大映像、立体映像を展示する企業パビリオンがたくさんあった。富士通パビリオンの全天周立体映像はすばらしかった。3時間ぐらい並び、自動翻訳や巨大なだけのロボットを見せられた後の10分くらいの映像はすべてCGによるもので、ミクロの分子構造からマクロな銀河宇宙に展開するものだった。
富士通のスーパーコンピュータとマイコンを100台つなげた並列コンピュータで描いたCGは当時で8億円くらいかかったという。部屋にドームあるけど、これ作れないかなあ、と思った。お金も技術もないけれど。ひとつだけできそうな方式の見当を付けていた。高校時代に読んでいた科学朝日のメディアアートの連載をまとめた「遊びの博物誌」に赤と青のフィルターをかけたスライドプロジェクタを2台並べて物体の影を赤青のフィルターのメガネで見ると立体に見えるという記事が載っていた。
アメリカの科学館で展示してあるそうだが、これを魚眼レンズにしてドームに映し出したら全天周立体映像になるのではないか? でもピント合うのかな? プロジェクタやレンズを2台ずつそろえるのはお金がかかりそうだ。なかなか実際には踏み切れない。この頃のブームは岩崎かず彰さんの精密スペースアート。地区の天文同好会がいくつか集まり天文研究発表会と毎年開催しているのだが、ヒゲキタはその時土星の輪の影が本体にどのように投影されるのかを模型を使って検証するというテーマで、模型を外に出し太陽の平行光線で照らして写真を撮るということをやっていた。
そしてその夜、銭湯に行くため大通りに出て街灯の影が重なって道路に映っているのを見てひらめいたのだ。風呂に行く前のユーレカ! 風呂や行かずに部屋に戻った。魚眼レンズはいらない。点光源が2つあればいいのだ。電球、色セロハン(プラネタリウムの青空や夕焼けを映すため)、土星の模型、つくば科学万博でもらった赤青めがね、実験に必要なものはすべて部屋にそろっていた。
豆電球は投映用には暗すぎたが、ドームも小さかったのでなんとか見えた。巨大な土星の輪の下をくぐり抜けた。嬉しくなって何度も何度も繰り返した。こんなの見た事ない。自分がやらないとどこにもやってないのだ。自分がやるしかない。光源はもっと明るくしなければ。光源の間隔は人間の目の間隔でいいのか。 光源を置く位置はスクリーンに近すぎるとゆがんでしまう。横方向は立体にならない。光源の方を動かしたらどうなるか。いろいろ実験して9ボルトの強力懐中電灯の電球が、明るくフィラメントが小さいので良いことがわかった。
実はサンフランシスコの科学館(たぶんエクスプロラトリアム)で展示されていた3D影絵には元ネタがあった。1920年代、アメリカの発明家で劇場興行主のハモンドが発明したもので、半透明スクリーンの後ろに2色のライトを配置しダンサーを踊らせ、メガネで見るという興行をやったらしい。ハモンドは直流同期モーターを発明し、それを使った電気楽器ハモンドオルガンで有名だが、機械式同期シャッターを座席につけた立体映画劇場なども作っていて赤青メガネの立体映画も知っていたようだ。ヒゲキタのはこれをドームに応用したものということになる。
CGの技法の一つにレイトレーシング法というのがある。実際には物体に反射した光が目に入って映像として見えるわけだが、CGの場合、目(仮想のカメラ)から光の光線が出て来て位置情報で定義された物体に当たる。その後ろにある仮想のスクリーンとその光線が交わる(当たる)時その位置を計算しピクセルを光らせる。何回もの反射や透過を計算するので膨大な計算が必要で時間はかかるがCGの品質はすばらしいという方法だ。
これを反射や透過を無視して輪郭線の位置情報を描くとみれば、影と同じことだ。投影法というくらいだ。CGなら時間がかかることをアナログな影絵は一瞬で描画する。右左ずらした光源は右目映像と左目映像を影として描き、メガネによって分離でき、脳内で立体映像として再構成される。
翌年の研究発表会で発表したが、会場ではみせることができないので、反響はなかった。その後日本アマチュア天文研究発表大会が地元で開催された時、車のヘッドライトの電球をバッテリーで光らせ平面のスクリーンで投映するということをやったが、白熱灯の熱でフィルターが燃えてしまった。熱の問題は大型化しようとすると付いて回ったが、最近になって青色LEDとLEDの高輝度化によって解決した。
部屋を何回か引っ越しして、少し広いところに移るとドームもすこしづつ大型化した。直径2.5mのヒノキ棒と布の多面体ドーム。直径3mのヒノキ棒と不織布のフラードーム。プラネタリウム用ではないが友達の家の庭に直径8mの合板製フラードームを建てたりした。
アパートの部屋に3.5mの段ボールのフラードームだった頃、平成になった。それが最後の固定型ドームになった。結婚し、貸家に引っ越し、娘が生まれると、家にドームは作れなくなった。そこで空気圧で膨らませるエアードームというのがアメリカにあるということを知って、型紙を作り、シーツ布を切り妻にミシンで縫ってもらった。直径3m。光は透過するので、夜しか投映できないものだった。
昼間でも投映できるようにするには遮光性のシートで作ればいいはず。印刷会社にいる知り合いに聞いたら、印刷版を作るための写真フィルムの袋があって捨てているというので、もらってきた。袋を切り開くと80センチ四方くらいでフラードームの分割三角形が1つか2つ取れるので、これをつなぎ合わせて直径4mのドームを作り、ブルーシートを床にした。扇風機3台で膨らませる。 公民館の観望会などで数回使ってみた。3D映像もやった。
娘を保育所に預け、妻が魚市場で配達のアルバイトをするようになった頃また会社をやめることになった。この会社は10年間いたのだが、また色々と煮詰まっていたらしい。しばらく職探ししていたが、社会に出てから写植しかやってこなかったので他の仕事をまったくしらない。その手動機写植の仕事は急速にコンピュータのフォントに置き換わっていた時代だった。失業保険が切れると、なにか働かなくてはいけないわけだが、失業中はぶらぶらと娘を送り迎えして、図書館に行ったり、そのへんの草やツルで籠を作ったり、和紙を作ったりしていたので、いまさら会社に行って仕事するのもなんだか面倒になっていた。
それなら、出張プラネタリウムを商売にしたらどうかなと妻に相談したら、月に10万円稼げば自分もバイトしてるのでなんとかなるだろうということで、1997年春から始めることにした。1、2年やってだめだったらあきらめて別な仕事に就こうというくらいの考えだった。
開業費用がかからないのがよい。チラシを作ったり発送するだけだ。やっている人は自分一人.究極の隙間産業だ。最初は市の環境課のイベントや保育所などから始めた。といっても月に数回だけだったので、カゴやランプシェードなどを作って知り合いに買ってもらったり、雑貨店においてもらったり、学童クラブで工作を教えたりしていた。
娘が小学校の時、同級生のお父さんがコンピュータに詳しく自分のホームページを作っていた。工房ヒゲキタの宣伝にヒゲキタの部屋というページを作ってくれるというのでプラネタリウムや星座の話を手書きで渡すとページを作ってくれた。テレビに出演した時のビデオやラジオ音声もアップしてくれて、名古屋や東京から問い合わせが来たりしたのだが、その人が亡くなってしまい更新できなくなった。その後中古住宅を買って引っ越したのだが、問題があった。市内ではあるのだが、電話番号が変わってしまったのだ。
ホームページを見て電話すると「その電話番号は現在使われていません」になってしまうのだ。廃業したと思うよね。コンピュータは苦手だが仕方ない、知り合いから旧機種のデスクトップをもらい、入っていたホームページ作製ソフトで簡単なサイトを作った。引っ越しした家はADSLというとても遅い回線だったが自作のプラネタリウムのホームページを集めて工作しようとする人のためのリンク集をつくったりした。
メガスターというレンズ式プラネタリウムを作った大平貴之さんはその後大平技研を立ち上げメガスターシリーズをさらに改良している。数百万個の恒星を映し出すレンズ式高精度プラネタリウムとは技術力を比較することさえできないのだが、ヒゲキタのピンホール式投映機は投映恒星数は数千個なので、星の数は1000分の1ということでキロスターと名付けた。黒いドームのキャラクターがアイコンで愛称はキロちゃんだ。
初年度のプラネタリウム入場者は3500人くらい。地元だけなので、交通費なしの売り上げは60万円くらいだったろうか。雑収入も合わせて100万円くらい。超零細だがギリギリなんとか生きて行けそうだった。
最初は科学館のプラネタリウムのイメージから、科学実験教室や、天体観望会、理科授業などのサポートといった方向で考えていた。地元の大学の天文同好会の人が科学の先生になっていて、科学の祭典で見かけたので、話を聞き、青少年のための科学の祭典に応募して何回か出展した。会場の科学技術館にはNHK教育放送のスタジオや実験名人米村伝次郎さんのラボがあり、米村さんがホストの教育番組や、NHKBSの番組に出演した。また全国大会なので実験名人の先生方も全国から来ていて、関西の科学サークルとの交流ができたり、地方の科学の祭典によばれたした。
学校の天文サークルの時の先輩などをたよって北海道に行ったり、長野、群馬、東京、神奈川、静岡の児童館などを回る中部1周ツアーをやったこともある。
しかし、どうもヒゲキタのプラネタリウムはエンタテイメント系らしいことがわかってきた。季節の星座解説10分、3D影絵を5分くらいやるのだが、3Dのインパクトが強すぎて、ドームから出てくる時には3Dの恐竜が襲ってきたことしか憶えていないのだ。星座の勉強にはまったくならない。プラネタリウム部分はなくてもいいのではないか。
エンタメと宇宙、といえば長年読んできたSFだ。そうだ、SF大会に行って企画としてやってみようと思い、申し込んだ。SF大会は全国各地で持ち回り開催され、地元でも開催されていたのだが、それまでは遠くで見ているだけで参加したことはなかった。大阪大会はダイコン7。4mのエアードームで1日だけ出展し暗黒星雲賞を受賞した。暗黒星雲賞というのは大会で一番インパクトのあったもの(良いもの悪いもの問わず)に投票し表彰するという遊びだ。SF大会には以後毎年のように行っていて、暗黒星雲賞は3回受賞している。
MTM01はSF作家の野尻抱介さんの掲示板で知って、Mixi経由で高橋さんや鴨澤さんにお世話になった。なにしろメールすらまともに使えないくらいだったので。実は最初、この日は生協のイベントが入っていてあきらめていたのだが、中国製の餃子に農薬が入っていた事件があり、イベントが中止になったため、行ける事になったのだ。
野尻さんはMake誌でも連載する、もの作りが大好きなSF作家だ。MTM01ではニコニコ技術部有志として出展していた。その後ニコニコ技術部は独自に交流展示会を各地で開催し、ニコニコ動画のイベントニコニコ超会議にも出展している。野尻さんは星雲賞(暗黒星雲賞ではない)を何度も受賞し受賞するとSF大会にも来る。そのため、NT(ニコテック)京都、NT金沢、超会議、MTM、MFT、SF大会、どこに行っても野尻さんに会うことになった。仕事で三重県に行った時はご自宅にお邪魔したこともある、
SF大会もMTMも個人出展なので交通費宿泊費などは自腹であり、まったくの持ち出しだ。ヒゲキタの場合機材が多いため、自分の軽四1ボックスにすべて積んで高速道路で往復することになり、地方から出展するのは経費が高くかかる。仕事も土日のことが多いので仕事を入れずに儲からないイベントに出展するわけで差額は大きい。インフルエンザが流行した小学校の仕事が何件もキャンセルになったMTM04の時カンパを募ってみたら、結構入っていて助かった。以後SF大会やMTMでは投げ銭箱を置くようになった。超会議2015ではユーザー支援企画で出ていたのだが規約で金銭授受は禁止ということで怒られてしまった。
MTMで投げ銭箱に50セント硬貨が混ざっていた。さすがトウキョウだ。アメリカはチップの慣習がある。ということはMFベイエリアに出展すればチップがもらえるかも。ちょうど円高になっていてサンフランシスコなら行けそうだ。でも、4mのドームだとアメリカ人は身体が大きいので15人くらいしか入れないかもしれない。そこで軽い素材(農業用マルチシート)で面積2倍の直径5.6mのドームを作ることにした。申し込みしたのだが、英語が全然わからないので結局オライリージャパンさんにすべてお願いした。
しかし開催1ヶ月前になって、難燃素材でないと屋内ではできないとの通知があり頭まっ白になった。資材を探して作り直したのは1週間前。荷物持ちで高校生の娘を連れていったのだが、2人とも英語がまったくできないので入国や移動は大変だったが3D投映は好評で投げ銭も800ドルくらいあった。エディターズチョイスのブルーリボン賞を3本(このMFでは最多)もらい、Makeのファウンダー、ダハティさんも見てくれた。
東京工業大学でレンズ式プラネタリウム投映機Qスターを作った工藤さんはMTM02などに出展していたがその後、超会議やNT金沢にルンバハックや電子楽器などで出展している。プラネタリウム投映機の新作も計画中だとか。
2013年、MFTの流れからNT京都を見に行くとニコニコ超会議という巨大イベントにニコニコ技術部として参加するという話が出ていて、じゃあヒゲキタもということになり5.6mドームで参加した。2回目も参加。2014年、3回目どうするかという時、ニコニコプラネタリウム部というサークルから連絡をもらった。ドームでデジタル投映ができるるのか試写させてほしいというのだ。代表が隣の県で近かったので、小学校での宇宙少年団のイベントで投映するときに来てもらった。
デジタルのドーム試写というとMFベイエリアのとき海外のアマチュア天文家の掲示板で連絡して来たオークランドのミラーさんという人がドームでデジタル魚眼投映を試写したのだが、ドームの素材がつや消しでなかったのできれいな投映にならなかった。現在使っているドーム素材の農業用マルチシートの白い面はつや消しなのできれいに映っていた。東京での実験投映会にも持って行って試写し、ニコニコ超会議2014では5.6mドームをニコプラ部に貸し、ヒゲキタは骨組み式の6mフラードームを作って3D影絵を投影したのだが、このドームは組み立てがあまりに面倒で廃棄した。ヒゲキタとニコプラ部とのコラボは大垣ミニMFやNT金沢、NT京都などでも行われ、2015年の超会議ではヒゲキタ製作の直径10mエアードームでボーカロイドドーム映像を投映した。2015年には中国のMFシンセンでも10mドームでコラボしている。
2014年の1月から12月までの1年間では小学校、保育所のバザーなど15カ所。児童館、学童クラブ、科学館など25カ所.ショッピングセンター、商店街、公民館、お寺、カフェなど15カ所。MFT、NT、超会議など5カ所。入場者数は14000人くらい、プラネタリウムの売り上げは200万円くらい。あいかわらず超零細だが、もともと料金の値付けに関してはまったくわからず、1人100円くらいかな、と適当に決めたのだが、もっと値上げしたほうがいいよ、という意見も聞いている。
他に工作教室の講師料や材料費、専門学校の非常勤講師、などの収入がある。友達の鉄工所でバイトもしていたが、これはお金のためというよりは、平日ごろごろしてるよりは、ぐらいの考えだった。家のローンも終わったし、娘の学校もあと2年、妻も正社員で働いているし、これ以上仕事は増やさなくてもいいかなと思っている。SF小説が読めて、工作が出来て、ビールが飲めれば他になにもいらないではないか。
メガスターの大平さんはデジタル投影とレンズ式メガスターを融合したメガスターフュージョンシリーズなど最先端を突っ走っている。先日、隣の県でメガスターをフレンチレストランで投映するという催しがあり、なぜかヒゲキタが星座解説をすることになった。キロスターのヒゲキタがメガスターの解説する時がくるとは。大平技研の女性スタッフが2人来ていて、設営、調整などをしていた。
日本にはプラネタリウムメーカーが3つあり、科学館や児童館など全国にプラネタリウム施設ができている。出張プラネタリウムは日本では80年代になくなり、ヒゲキタが始めた時には誰もやっていなかったのだが、最近は科学館で移動プラネタリウムを導入するところが増え、個人で始めるところも増えてきた。これはデジタル機器とソフトの進歩が大きいのだろう。
山梨県のウィルシステムさんは投映機は自作フィルムピンホール式、ドームは既製品。横浜モバイルプラネタリウムさんは投映機は大平技研のメガスターゼロ、ドームは既製品。東京モバイルさんは投映機は魚眼デジタルプロジェクタ、ドームは既製品。ヒゲキタは投映機は自作ピンホール式、ドームも自作。ドームに既製品を使うのはシワなど投映品質に影響するからだ。特にデジタル投映機の場合に影響が大きいが、ピンホール式と3D影絵の場合シワはあまり影響がない。
今年に入ってなんとヒゲキタと同じ市内で移動プラネタリウムを始めた人も現れた。東京モバイルプラネタリウム系でネットワークしてイベントが重なったりする時は融通できるらしい。彼らは皆、科学館などでプラネタリウム解説をしていた方ばかり。
ヒゲキタはお金がなくて手作りのゴミ袋みたいなドームで鍋に穴をあけた投映機で6等星までの色の付いていない星空を映しだす。ディズニーより凄いと豪語して映しだされるのはただの影絵でガッカリさせておいての3D。どう考えても負けているのだが、モバイルプラネタリウムの方は天文教育や啓蒙といった教育的使い方なのだろう。たぶん方向性が違う。ヒゲキタはステージから楽器まで作って歌うシンガーソングライターのようなもの。エンタテイメントでいいのだと思う。ディズニーより凄いと豪語する手作り3D映像、ヒゲキタがやらなければ誰がやるのだ。