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2005 年12 月4 日

悲しみと憤りと

茨城で、幼い女の子が殺される事件がありました。
少し前にも、広島で同じ様に幼い女の子が殺される事件がありました。
私は、こういった幼い子が犠牲となる事件が起こる度に、とても悲しくなり、また激しい憤りを覚えます。
そして思います。「犯人が捕まったら、速やかに死刑に出来ないの?」と!
事件には様々な種類があるとは思うけど、こと「幼い子を殺める」といった事件に対しては、「厳罰で臨むべき」というのが私の意見です。

以前“nskBLOG”でも見かけたけど、死刑制度の是非に関しては、様々な意見があるでしょう。
私は、「人が人として新たな段階に昇華した時」には、死刑は廃止しても良いのでは?と思います。
つまり、「そもそも凶悪な事件が起こらなくなった時」にこそ廃止するべきで、それまでは必要だと考えます。

「死を恐れない者にとって、死刑は犯罪抑止力にならない」と聞いた事もありますが、全ての人が死を恐れてない訳ではありません。実際、私も死ぬのは怖いですからね。
死を恐れる者に対してだけでも犯罪抑止力になるのなら、それだけでも、死刑には意義があると考えます。

また、「加害者の人権云々」といった事も聞いた事はあるけど、そもそも人権という字は「人の権利」と書きます。
「私利私欲の為に幼い子を殺める」といった、人の道に外れた事をした輩は、既に人ではありません。
人でないのに「人権」という言葉を持ち出す事は、甚だおこがましいのではないでしょうか?

「犯人を死刑にしても、被害者は生き返らない」とも聞いた事があります。
確かにそれは事実だけど、少なくとも「再犯のリスク」は、確実に0にする事は出来ます。
もし、この様な許し難い犯罪を犯した輩が死刑にならずに出所した場合、再犯のリスクが発生します。
普通に真面目に、一所懸命に生活している多くの人々が、何故再犯のリスクに脅えないといけないのでしょう?

「犯人が死刑になっても、被害者の心は満たされない」とも聞いた事があります。
私は、こういった犯罪の被害者になった事がないので、この辺は分かりませんし、分かりたくもありません。
(被害者にはなりたくないです)
もっと言うと、誰も被害者にはなって欲しくないです。この手の事件が無くなって欲しいのです。

あと、私が個人的に思う事があります。それは、「不愉快さ」です。
私は、こういった犯罪を犯した輩と同じ時間、同じ空間で人生を送る事が、非常に不愉快なのです。
奇麗事を言うつもりはありません。そんな輩は「消えて居なくなれ!」と思います。


以上、「幼い子が殺される」といった事件が相次いで発生した事をきっかけに、死刑に対して思う事を書きましたが…
最後に、亡くなった女の子達の御冥福を、心より、本当に心よりお祈りします。
そして同時に、こういった悲しい事件の根絶を、心から願います。


投稿者:るな♪at 15 :40 | 独り言 | コメント(7 ) | トラックバック(0 )

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