2008年08月09日
祖母の死から学ぶ
101歳の妻の祖母が8日亡くなった、数日前まで自作の替え歌を創ったりして他人を笑わせる事が大好きで純粋で可愛いおばあちゃんであった。最後の日、ベッドでは静かに静かに身体の機能が落ちていく、後、数時間の命と感じられても宇宙の動きのように、少しずつ確実に弱まり眠っているように静かな自然の死が訪れた。
私はこのおばあちゃんの、性格や生き方、死に方から多くの事を学ばせていただいた。 人の為世の為という大げさな生き方でないが、いつもニコニコと正直で愉快で明るい性格の為か、顔の表情がとっても美しく身体も柔らかい、耳の鼓膜までも柔らかく新鮮な細胞なのか、とっても小さな音も聞こえる状態である。
欲やわがままなどが出易い自分であるが、人生を振り返った時、恥ずかしい思いにならないよう、多くの方々から惜しまれるように死にたいものだとつくづく考えさせられた。
そんな意味で、内観は正に大切なツールである。
私はこのおばあちゃんの、性格や生き方、死に方から多くの事を学ばせていただいた。 人の為世の為という大げさな生き方でないが、いつもニコニコと正直で愉快で明るい性格の為か、顔の表情がとっても美しく身体も柔らかい、耳の鼓膜までも柔らかく新鮮な細胞なのか、とっても小さな音も聞こえる状態である。
欲やわがままなどが出易い自分であるが、人生を振り返った時、恥ずかしい思いにならないよう、多くの方々から惜しまれるように死にたいものだとつくづく考えさせられた。
そんな意味で、内観は正に大切なツールである。
投稿者:かもちゃんat 11:33| コメント(0) | トラックバック(0)