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2007 年01 月05 日

「美しい国」に向かって一直線

今日、クルマでニュースを聞いてたら、某首相がこんなこと言ってた。
ググってみると年末に言ったものらしいが、今日また報道していたところを見ると年始の挨拶でもこの言葉を使ったのだろう。
それにしても「美しい国」と「一直線」という組み合わせ、なんか違和感を感じる。はっきり言って危ない感じだ。

日本を「美しい国」に、というのは首相になった頃からのキャッチフレーズだが、いじめや自殺、教育関係のゴタゴタ、相次ぐ凶悪・猟奇犯罪、政治家・政府関係者のスキャンダルなど、まず「普通の国」にするのが先だろと突っ込みたくなるのが現状。まあ本人は教育基本法なんかいじって、まずは「美しい国」への第1歩とか思っているのかもしれないが、なんだかピントはずれ。そういや、国民の大半は無関心であるのに、首相周辺だけで盛り上がっていたA級戦犯の件なんかも似たような感じだったな。それも今じゃすっかり忘れられてるし。
まあ、いい人なんだろうけど、庶民感情てのが分かってないような気がするよな。

まあそれはさておき、「普通の国」ならいざ知らず「美しい国」を実現するには、法的・その他の強制力によるものではなく、やはり内発的な規範の遵守や人間的つながりの回復、いわば人間性の復権みたいなことが必要だろう。それは、壊れたものを一つ一つつなぎ合わせ、崩れ落ちたものを組み立てていくような地道な作業となるのであろう。逆に、そうしたもの抜きで体裁だけ整えても「美しい国」とはならない。極端な話、恐怖政治の独裁国家でも体裁だけなら整えられるし…。
だから、「日本を美しい国に」というのを聞いたとき地道で遠大なことにコツコツと取り組んでゆくのだなと思ったんだが、「一直線」って、アンタねえ…。

某首相はいったいどういう手法を持ってして一直線に「美しい国」を実現しようとしているのだろう。プロパガンダや世論誘導と法律の厳罰化によるアメとムチで「美しい国」を実現できると思っているんじゃないか?
人間性の復権を抜きに「愛国心」だの「正義」だの生硬なモラルだけが社会に注入された場合、ちょうど先の戦争が起こる前みたいに、政治家が真っ先に「掃除」されそうな気がするぞ。大体、なにかと「愛国心」という政治家の気が知れない。今の日本じゃ「愛国」=「憂国」ですよ。ダイジョブ?ワカッテル?

テロリストとして恐怖の的となってるイスラム戦士たちは、「正義」のために戦っているという。日本のカミカゼ戦士もやがて「正義」のために立ち上がる日が来るかもしれないと思う今日この頃…。

投稿者:親方
at 01 :37| 時評 | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

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