2007 年1 月23 日

そのまんまショック!

いやー、びっくりした。そのまんま東当選、宮崎県知事ですってよ。
青島、ノックに続いて3人目のお笑い知事の誕生だ。

そのまんま東はタレント候補と言いながら、はっきり言って落ち目の芸人。泡沫候補と思ってたから心底ビックリ。でも、考えてみれば芸人はしゃべりのプロなんだよなあ。青島、ノックの実績もあるし。今日の報道でも選挙活動の様子が紹介されてたが、なかなか演説がうまいというか、人の心をつかむものはあった。これに落ちたら芸能界にも戻れないということで、さらに必死さに磨きがかかっているのだろうか、ちょっとアブナイくらいの感じだった。

前知事の汚職や保守の分裂で組織的な選挙ができなかったというのが、一番の勝因なんだろうけど、組織的な選挙にならされてきた人たちにとって、こういう必死な候補が新鮮に映ったのかも。まあ、分裂した候補のどちらかに荷担すると後がやっかいだからと、無関係そうな候補に入れたとも考えられるけど…。

まあ、これからが問題だ。ニュース23のインタビューでも「長野の田中知事や青島都知事と違ってダムや臨海副都心開発などの争点がないので、議会とはうまくやっていけるんじゃないか」とか言っていた。いつの間に長いものに巻かれちゃいそうで心配…。権力を持つと人は変わっちゃうからなあ。

投稿者:親方
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2007 年1 月5 日

「美しい国」に向かって一直線

今日、クルマでニュースを聞いてたら、某首相がこんなこと言ってた。
ググってみると年末に言ったものらしいが、今日また報道していたところを見ると年始の挨拶でもこの言葉を使ったのだろう。
それにしても「美しい国」と「一直線」という組み合わせ、なんか違和感を感じる。はっきり言って危ない感じだ。

日本を「美しい国」に、というのは首相になった頃からのキャッチフレーズだが、いじめや自殺、教育関係のゴタゴタ、相次ぐ凶悪・猟奇犯罪、政治家・政府関係者のスキャンダルなど、まず「普通の国」にするのが先だろと突っ込みたくなるのが現状。まあ本人は教育基本法なんかいじって、まずは「美しい国」への第1歩とか思っているのかもしれないが、なんだかピントはずれ。そういや、国民の大半は無関心であるのに、首相周辺だけで盛り上がっていたA級戦犯の件なんかも似たような感じだったな。それも今じゃすっかり忘れられてるし。
まあ、いい人なんだろうけど、庶民感情てのが分かってないような気がするよな。

まあそれはさておき、「普通の国」ならいざ知らず「美しい国」を実現するには、法的・その他の強制力によるものではなく、やはり内発的な規範の遵守や人間的つながりの回復、いわば人間性の復権みたいなことが必要だろう。それは、壊れたものを一つ一つつなぎ合わせ、崩れ落ちたものを組み立てていくような地道な作業となるのであろう。逆に、そうしたもの抜きで体裁だけ整えても「美しい国」とはならない。極端な話、恐怖政治の独裁国家でも体裁だけなら整えられるし…。
だから、「日本を美しい国に」というのを聞いたとき地道で遠大なことにコツコツと取り組んでゆくのだなと思ったんだが、「一直線」って、アンタねえ…。

某首相はいったいどういう手法を持ってして一直線に「美しい国」を実現しようとしているのだろう。プロパガンダや世論誘導と法律の厳罰化によるアメとムチで「美しい国」を実現できると思っているんじゃないか?
人間性の復権を抜きに「愛国心」だの「正義」だの生硬なモラルだけが社会に注入された場合、ちょうど先の戦争が起こる前みたいに、政治家が真っ先に「掃除」されそうな気がするぞ。大体、なにかと「愛国心」という政治家の気が知れない。今の日本じゃ「愛国」=「憂国」ですよ。ダイジョブ?ワカッテル?

テロリストとして恐怖の的となってるイスラム戦士たちは、「正義」のために戦っているという。日本のカミカゼ戦士もやがて「正義」のために立ち上がる日が来るかもしれないと思う今日この頃…。

投稿者:親方
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2006 年11 月10 日

世界史の先生

富山県での発覚をきっかけに、あっという間に広がった高校の履修不足問題。まさに全国的規模での広がりに、教育基本法に「愛国心」を盛り込もうなんて話も影が薄くなってしまった。
かく言う私の母校、金沢桜丘高校も履修不足が発覚。補習授業を始めたようだ。うーむ、昔はそんなにガツついた学校じゃなかったんだがなあ。のんびりしてていい雰囲気だったのに…。

文部科学省が緊急的な措置として、最大70時間の補習とレポートで単位を出すということで事態は落ち着いたようだが、気の毒だなあと思うのは世界史の先生。
これまで受験に必要ないということで、ないがしろにされてきたうえに(「いいですなぁ、世界史の先生は。受験も関係ないし授業も少なくて気楽なもんでしょ。うはははは」とか…)、今度は放課後や春休みに補習に狩り出される。で、きっと受験のことしか頭にない生徒や親にから激しい風当たりを受けるのであろう(「あんたら学校の不始末で、この大事なときになんでこんな無駄な授業を受けなきゃならんのだ!」とか…)。

まあ、実際は「地理歴史」の免許があれば世界史も教えられるそうなので、地理や日本史の先生が慣れない世界史を準備もなく教えることになるのかなあ。で、放課後や春休みに狩り出された地理や日本史の先生が世界史の先生に八つ当たりとかして…(「世界史ってなんの役に立つんだよ、まったく。こんなもの必修にする文科省はいかれてるぜ。まあ、こんなもん大学で専攻してたバカもいるけどさ」とか…)。

いっそ未履修の生徒全員を体育館に集めて、3日間ぶっ通しで授業をやったらどうか。先生は3交代で、ひたすら世界史の教科書を朗読する。最後まで読んだらまた初めから読む。生徒は体育館から出なければ何をしても良い。これなら3日で片がつく。学級崩壊してる教室でも単位が取れるんなら、これでもいいんでは。どうでしょうアベさん…。

投稿者:親方
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2006 年4 月14 日

「天空の草原のナンサ」または「美しい引越し」

あ〜、疲れた…。
久々に人事異動に引っ掛かって引越し。といっても同じフロアで10m移動しただけなんだけど、3年間同じ机で仕事をしてたんもんで、やたら資料だのなんだのが、溜まっててマイッタ。
資料というのは不思議なもんで、普段は邪魔になるのに必要なときには見当たらない。で、苦労して見つけたら見つけたで、大した資料じゃなかったりする。結局のとこはゴミなんだけど、つい、いつか役に立つかなと思って引き出しに詰め込んでいってしまう。しまいにゃ机の上まであふれだし、とっても見苦しいことになってしまっていたのだが(だが、机の上にたまっている資料は時系列で堆積しているので意外と探しやすい→「この辺が2ヶ月前でここが3ヶ月前だからこの間に目的の資料があるはずだ!」とか)、今回の異動で、仕事も現場から事務系へ変わることもあり、この際思い切って過去の資料は全部捨て、パソコンとファイル数冊まで整理した。うーん、すがすがしい。

で、思い出したのは、この間見たモンゴル映画「天空の草原のナンサ」だ。
それにしてもこの邦題は、何とかならんか。危うく見逃すとこだったぞ。
ストーリは、モンゴルの遊牧民の少女(6才)が野良犬を拾ってくるが、お父さんに飼うのを反対されるという、「あ〜、子供と動物か〜」という話だが、受け狙いのあざとさは無く、遊牧民の生活を淡々と描いている渋い映画だ(出演者も本物の遊牧民一家)。主人公の女の子が馬に乗って羊を放牧しているのには驚いたが(どうやって乗ったのだ!)、お母さんがひらりと馬に飛び乗るのにもおどろいた。モンゴルではホントに馬は自転車みたいなものなんだなあ〜。

で、この映画は、遊牧民一家が引っ越すところで終わる。手際よくテント(ゲル)を解体し、きれいに更地に戻した後、清めの儀式をおこなって数台の牛車で移動してゆくところが、いかにも自然の一部として生きているという感じでよかった。
それに比べ、わが身を振り返ってみると、資料=ゴミの山を大量に捨てて、ようやく移動(10m…)。自然にやさしくないよなー。仕事の都合で、これまで何回か引越ししたけど、ああいう「美しい引越し」がしたいよなあ。いつも徹夜で必死に荷物をまとめて掃除も十分にできずに引越ししてるもんなあ。

実のところ、移動生活っていうのは憧れだ。たまに新聞の中古車広告に混じって中古トレーラーハウスの広告とか見かけるけど、猛烈に欲しくなってしまう。X−ファイルなんかに出てくるUFO研究家みたいに、トレーラハウスからインターネットで政府の陰謀を告発するようなダメな人間になるのが私の夢だ。また、異才の建築家バックミンスター・フラーのアルミで作られた組み立て式住居「ウィチタ・ハウス」(遊牧民のゲルそっくり)なんかもめちゃくちゃイイ。長さ4m×径1mくらいの円筒に部材が全部収まってしまうとこなぞ、猛烈にそそる。どこか大量生産してくれる企業はないのか?
そんな移動生活に憧れる私だが、アパートのほうは本やら漫画やらDVDやら情報系ガラクタが所狭しと積まれている。いつか移動生活に入るため大きなものは買わずにおこうと思っているが、ついつい小さなものを買いすぎて、かえって収拾がつかない。出るときは、清めの儀式はおこなわずとも、せめてきっちりと掃除していきたいよなあ〜。めんどくさいけど。

あ、でもトレーラーハウスなら片付けなくても移動できるな。
名づけて走るゴミ箱号…って、すでに自家用車がそれだわ。ダメ人間フォー!

投稿者:親方
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2006 年4 月8 日

「ブラックホーク・ダウン」または「イラクの戦死者数」

いやぁ〜、あきれましたよ。
このあいだ免許の更新で講習を受けたんだけど、その教官が交通事故者の深刻さを強調するつもりで「イラクで死んだ米兵より交通事故死者のほうが多い」とか言い出した。
まあ、確かに数字の上ではそうだ。米兵の死者は現時点で2,500名弱。これに対して交通事故による死者は年間7,000〜8,000人。確かに間違っていない。だが、その比較に意味があるのか?死んでるのは米兵だけじゃないだろ!
で、思い出したのがリドリー・スコットの「ブラックホークダウン」。
ソマリアの内戦に介入した米軍が作戦に失敗し、民兵に包囲されるという話だが、すさまじい戦闘シーンと、しだいに追い詰められていくヒリヒリした緊張感が、市街戦の恐ろしさを伝えて余りある映画だ。
だが、この映画のラストで米兵の死者18名に対し民兵側の死者が1,000名と言うナレーションを聞いたとき、へ?と思った。50倍もの敵を殺してる!なのに、この敗北感はいったい何なのだ。確かに仲間が死に、作戦も大失敗だ。そりゃ、へこむだろう。だが、アメリカ国民でもなくアメリカの「正義」に賛同できない私としては、自軍の50倍ものソマリア人を殺しておいて「敗北を乗り越えてゆく不屈の兵士たち」みたいなラストシーンは違和感を感じざるを得ない。
この映画を国レベルでやってるのが、今のイラクだ。米軍はここでも、ずさんな作戦で乗り込んでいって、泥沼にはまっている。そして、反撃してきた「敵」を殺すだけ殺して、どうにもならなくなったら、悲壮感を漲らせながら撤退してゆくのだろう。そのときイラク人の死者が米軍の死者の何倍(何十倍?)になっているのか。

さらにイラクの場合、発表される死者の数は正規兵のものだけという点が要注意だ。同じアメリカ人でも物資の補給や施設の建設、機材の運用に関わる軍事企業やイラク兵の教育に携わる軍事コンサルタント、施設の警備をおこなっている警備会社等の民間軍事会社の社員の死者数は含まれていない。発表されている死者の数は、イラク戦争の死者数のごくごく一部なのだ。

しかし、自動車学校の教官といえば警察関係者じゃないの?こんなことでいいんだろうか…。
あ、いいのか、警察関係だから…。

投稿者:親方
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2006 年4 月4 日

「ヒドゥン」または「そんなことする人には見えなかったわよねぇ」

いやあ〜、川崎の投げ落とし殺人犯、びっくりですね。
あの、無差別ぶり…持ち上げられれば誰でもいいみたいな。無差別殺人の意志を固めた人間がその辺うろうろしてるのは怖いよなあ。私は、医者にすぐ痩せなさいといわれているので、投げ落とし対象外だが、それでも、残忍以上に不条理な無差別ぶりには肝が冷える。
さらにびっくりしたのが、あの犯人。TVの報道によれば、温厚でにこやか、親切とすこぶる評判のいい男。写真なんかも被害者にこそ見え、殺人犯にはとても見えん。ご近所のインタビューでも「信じられない」「あの人がなぜ?」みたいな答えが次々返ってくる。
そんなとき、決まって思い出すのが映画「ヒドゥン」。まあ、B級ホラーアクションなのだが、一般市民が宇宙生物に寄生され、いきなり犯罪に走ってしまうという設定が「あの人がなぜ?」なのだ。
ストーリーは、SF小説の古典「20億の針」が元ネタで、人間に寄生して操る凶悪な宇宙生物(「ダークスカイ」や、最近では「スターシップトゥルーパーズ2」に出てきたようなやつ)と、それを追ってきた同じような寄生虫が人間を巻き込んで対決するというのが大まかなところ。で、凶悪なやつに寄生されたオヤジやストリッパーの姉ちゃんが突然銃をぶっ放しまくり、そんな事件の続発に不審を抱いた地元の警官と、ふらり現れたFBI捜査官(ツイン・ピークスのカイル・マクラクラン!というか「ヒドゥン」のほうが先)が協力して凶悪寄生虫を追い詰めていく。このFBI捜査官が、さすがマクラクランだけあって実は虫持ちで、挙動不審なところがいい味出してる。結末は良い寄生虫(マクラクラン)と地元警官との友情物語で、なかなか泣かせるラストだった(と思う)。
この映画では、寄生された小市民が次々凶悪化して大暴れするところが見所だが、こういうところがアメリカの持つ不安をうまく表現している、と公開当時話題になった(一部で…)。ホラー映画の面白さの大きな部分は、不可解というか、不安な事件に理解可能な物語を与え、さらに問題解決すなわちハッピーエンドまでつけてくれるというところが、カタルシス(浄化作用というかモヤモヤを取り除くIQサプリ効果)をあたえてくれるところにあるといわれている。それの見本のような映画だ。いわば、社会の不安のはけ口みたいなものか。
最近では、プロファイラーなんて人たちが活躍しているけれども、これも似たようなもんだ。今回の事件でも、TVでにわかプロファイラーが事件に理解可能な物語を与え、不安を取り除いてくれるんでしょう。
まあ、「頭に虫がわいたから」なんて説明はしないだろうけどね。

投稿者:親方
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2006 年4 月1 日

「トワイライトゾーン」または機内禁煙

きのうテレビの深夜映画で「トワイライトゾーン」を見た。
なつかしのTVシリーズの映画化だが、もはやこれ自体がなつかしの映画だ(1984年公開)。ジョン・ランディス、 スティーヴン・スピルバーグ、 ジョー・ダンテ、ジョージ・ミラーの4人のオムニバスで、それぞれ個性が出ていて興味深い(というかそれ以上の映画ではないような気もするが…)。
この映画の4話目、飛行機恐怖症の男が、翼の上でエンジンぶち壊し中の怪物を目撃するが誰も信じてもらえないという話(オリジナル版のリメイクらしい)の中で、男が気を落ち着かせようとしてタバコを吸い注意されるというくだりがあった。そのシーンを見てはっと気づいたのだが、飛行機がもうじき墜落するという事態が起きて、タバコが吸えなかったら、これはつらいぞ。非喫煙者にはわかってもらえないかもしれないが、これこそタバコが絶対必要なシチュエーションではないか。
以前、アート展で「緊急の際はガラスを割って使用してください」と書かれたケースにタバコが1本入っているやつを見たことあるけど、これが冗談ではなく名案だと感じてしまうくらい喫煙者にとって緊急時にはタバコが必要なものだ(私だけかも…)。対策を考えるにしても、諦めて人生を振り返るにしても、やっぱり一服つけないと始まらない。
でも、飛行機が墜落しそうとなったら、それこそ緊急時ゆえに絶対禁煙なのだろうな〜。死刑囚でも最後の一服が許されるというのに(少なくとも映画の中では)、こんなことが許されるのであろうか!私が何をしたというのだ!なに?タバコを吸うおまえが悪い?そうか、俺が悪いのか…。帰って靴下はいて寝ます。しくしく。

投稿者:親方
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