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2005年08月16日

今生きていることのすごさ

昨日で戦後60年を迎えた。

私にとって戦争は、実体験のないことで写真や映像などでしか知ることは出来ない。今日、平和であることは、本当に幸せなことだ。
しかし、大きくこの戦争に関わっていることを改めて感じずにはおられない。

私の母親は富山大空襲の時、焼夷弾の雨の中を走って逃げていたのであった。
無我夢中で逃げ迷い、ようやく郊外の落ち着いたところで我に返った時、下腹部のあたりに鈍い痛みを感じた。焼夷弾の破片かどうかはわからないが、出血していたとのこと。まだ、9才の少女であった。

もしこの時、まともに焼夷弾が当たっておれば母親は即死したであろう。
すなわち、私はこの世に存在し得ないのである・・・。

また、私の家内のお父さんは終戦を満州で迎えいわゆる「シベリア抑留生活」を4年半も過ごした方である。
この4年半の間に、多くの戦友達は極寒の地で病気に倒れ、あるものは発狂して死んでいったとのこと。その戦友の遺骨を抱えて、シベリアの地を転々とされたそうである。

もしこの時、多くの戦友とともにシベリアの地で倒れておれば、今の家内はこの世に存在し得ないのである・・・。

すなわち、我々の子供達もこの世に存在し得ないことになる・・・。

こう考えてみると、先の戦争というものは実体験はないが、いまの私自身の存在そのものが奇跡とも言えるのではないかと、ちょっと哲学的になってしまうが正直な思いである。

戦争は終わっても、その後100年近くにわたりその悪影響は後生に伝わっていくのである。未だに戦争が終わっていないと感じる方々も多い。

この節目の時に当たり、戦争の愚かさやむなしさ、そして大きな悲しさを若い世代が真剣に考える機会であってもらいたい。

投稿者:Hornat 23:47| 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

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