2012年12月14日
県議会議員補欠選挙
今週末は、投票日である。
総選挙区選挙があり、比例区選挙があり、最高裁判所判事の審査がある。
それに加えて、どうやら富山では、県議会議員の補欠選挙があるらしい。
昨日、その補欠選挙の立候補者の一人から葉書が届いていた。今日になってそれを見てみたが、あまり魅力的ではない。家内が、いったい誰が立候補しているのだろうと言ったので、それにつられて、新聞入れ袋から選挙公報を取り出してきて改めて見てみた。
驚いたことに、どれもなってほしくない人物だった。これはひどいなあ。なってほしくない人物の中から、それでも選ばなくてはならないということか。
ついでに、最高裁判所判事の経歴も読んでみた。一票の重みに対する姿勢と、思想信条の自由に対する姿勢とを判断基準にしたい。これまた難しい。双方においてふさわしいと思われる人は、なかなかいないものだ。ただ、一人の裁判官の中でも、判断の変遷のようなものが見られ、裁判の判断も、世の動きを反映するんだなということが見える。そして、裁判官や検察官出身の判事は、私の判断基準に照らして、あまり望ましい判断をしない傾向にあることがわかる。
ささやかだが、自分なりの判断で、×をつける判事を決めて、投票に臨みたい。
総選挙区選挙があり、比例区選挙があり、最高裁判所判事の審査がある。
それに加えて、どうやら富山では、県議会議員の補欠選挙があるらしい。
昨日、その補欠選挙の立候補者の一人から葉書が届いていた。今日になってそれを見てみたが、あまり魅力的ではない。家内が、いったい誰が立候補しているのだろうと言ったので、それにつられて、新聞入れ袋から選挙公報を取り出してきて改めて見てみた。
驚いたことに、どれもなってほしくない人物だった。これはひどいなあ。なってほしくない人物の中から、それでも選ばなくてはならないということか。
ついでに、最高裁判所判事の経歴も読んでみた。一票の重みに対する姿勢と、思想信条の自由に対する姿勢とを判断基準にしたい。これまた難しい。双方においてふさわしいと思われる人は、なかなかいないものだ。ただ、一人の裁判官の中でも、判断の変遷のようなものが見られ、裁判の判断も、世の動きを反映するんだなということが見える。そして、裁判官や検察官出身の判事は、私の判断基準に照らして、あまり望ましい判断をしない傾向にあることがわかる。
ささやかだが、自分なりの判断で、×をつける判事を決めて、投票に臨みたい。