2009年06月03日
最終ご開帳の善光寺で神秘的な連続体験
妻と小学生の孫2人と4人で善光寺のご開帳に行って来たがいつもと同じ神秘的な体験の連続であった。
急に妻が、善光寺のご開帳に行こう!と言い出し、私も是非行きたいと思った。重要な仕事をほっぽり出して雨の早朝出発した。
新車のカーナビに妻が善光寺と入れたつもりが、なんと、100キロ先の上諏訪神社に着いてしまった。 私は、善光寺はお寺さんだから神社もお参りできれば善いとフッと考えた後なので、妻がしょげかえっていたものの私は、天の計らいで先に諏訪神社に案内してもらったと喜んでいた。
往復2時間を掛けて、ようやく善光寺に着いたら駐車場がない! ところが、近くのそば屋が食事するならOKと言ってくれた。これも、私の車が入った途端満杯になって滑り込みセーフであった。
次から次へと小さな奇跡に恵まれ、とうとう長蛇の行列に並び本堂の阿弥陀如来様に一歩づつ近づいていた。
私は何となく、一生懸命、少しずつ前進しながら天と阿弥陀様に真剣に南無阿弥陀仏を唱えていた。奇跡が起きないかの実験の気持ちである。
ところが、朝から曇り空で1日中雨が降っていたのに寺から一歩出ようと外をみると、まばゆいほどの日光が差しているでわないか! 太陽そのものは見えないものの、雨が降り続きながら日光がサンサンと輝く光景は初めての経験であった。 勿論、長年の体験から、天はすべてお見通しで念仏は繋がっていたのだ!と確信した。 そして、5分後再び、暗い雨雲に覆われた。
帰りもスピードオーバーをしながらつぱしって来たが、つい数台前の車は覆面パトカーに捕まっていた。私達も気をつけねばならないが、常に天から守られている私達である。
ゆえに、カーナビの入力ミスなど何ひとつ偶然はなく一つ一つに意味があり、天の采配の中で生かされている。 有り難い事である。
だから、我を抜いて我がままな欲を出さず、素直に素直に天が采配されるあるがままに生かさせていただければ、最高の幸せが待っているように感じている。
急に妻が、善光寺のご開帳に行こう!と言い出し、私も是非行きたいと思った。重要な仕事をほっぽり出して雨の早朝出発した。
新車のカーナビに妻が善光寺と入れたつもりが、なんと、100キロ先の上諏訪神社に着いてしまった。 私は、善光寺はお寺さんだから神社もお参りできれば善いとフッと考えた後なので、妻がしょげかえっていたものの私は、天の計らいで先に諏訪神社に案内してもらったと喜んでいた。
往復2時間を掛けて、ようやく善光寺に着いたら駐車場がない! ところが、近くのそば屋が食事するならOKと言ってくれた。これも、私の車が入った途端満杯になって滑り込みセーフであった。
次から次へと小さな奇跡に恵まれ、とうとう長蛇の行列に並び本堂の阿弥陀如来様に一歩づつ近づいていた。
私は何となく、一生懸命、少しずつ前進しながら天と阿弥陀様に真剣に南無阿弥陀仏を唱えていた。奇跡が起きないかの実験の気持ちである。
ところが、朝から曇り空で1日中雨が降っていたのに寺から一歩出ようと外をみると、まばゆいほどの日光が差しているでわないか! 太陽そのものは見えないものの、雨が降り続きながら日光がサンサンと輝く光景は初めての経験であった。 勿論、長年の体験から、天はすべてお見通しで念仏は繋がっていたのだ!と確信した。 そして、5分後再び、暗い雨雲に覆われた。
帰りもスピードオーバーをしながらつぱしって来たが、つい数台前の車は覆面パトカーに捕まっていた。私達も気をつけねばならないが、常に天から守られている私達である。
ゆえに、カーナビの入力ミスなど何ひとつ偶然はなく一つ一つに意味があり、天の采配の中で生かされている。 有り難い事である。
だから、我を抜いて我がままな欲を出さず、素直に素直に天が采配されるあるがままに生かさせていただければ、最高の幸せが待っているように感じている。
投稿者:かもちゃんat 01:36| コメント(0)