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2010年07月13日

生い立ちーーー!

生い立ちを語る時:誰もが、生まれ落ちる、何時、何れ、誰れ、ーーーを知らずに、この世界に生まれる、これを不条理と感ずる人あれば、天命のなせる条理と観ずる人もあり。我は如何に生まれようと、天命と考えたい、何となれば、人として生まれる天命は同じ。皆、人として、堂々と、暮らそうぞ! 孜拝


先ほど、万感の念いを込めて、ツイッターに投稿する。新聞を見る、ニュースを聞く、多くの人達の生い立ちが語られている。それらを見るたびに、数奇な運命に翻弄されながらも、立派な人生を歩まれた人生も有れば、恵まれた生い立ちなのに、不遇な人生を送られる人もいる。まさしく、人、様々である。


だが、各々の人生を、どのように暮らしたかは、一概に、幸不幸は、どうも決められない。何故ならば、何が幸せで、何が不幸かは、各自の心の問題であるから。


以上を考えた時、「如何に生まれようと、天命と考えたい、何となれば、人として生まれる天命は同じ。皆、人として、堂々と、暮らそうぞ! 」と、子、孫、末代迄、これを伝えたい。今後の人生、ひたすらに、天命の赴くままに、暮らそうと思う。

夫婦雛



投稿者:孜at 15:08| 日記 | コメント(2)

◆この記事へのコメント:

何が不幸かは各自の心の問題、たしかにそうです。あまり面識のない人にかぎって「気の毒に」と私に声をかけます。私が車椅子に乗っている障害者だからです。車椅子=不幸、という偏見で私の生きざまを上からの目線で評価し、とっておきの社交辞令「気の毒に」を投げかけるのです。そんなとき「あなたも不細工な顔で人生お気の毒ですね」と言い返したくもなるけれどグッと我慢。一方、私の仕事ぶりやライフスタイルを理解してくれている人達は 決して私のことを「気の毒」とは言いません。幸せな障害者がいるということを知っているからです。

投稿者:やすキチ:URL at 2010/07/14 12:32

やすキチさん、コメントありがとうございます。ご無事なる旅行をお祈りしています。力強いやすキチさんのお言葉は多くの人々のパワーになると読ませて頂きました。小生は母子家庭に育ち、よく「父がいなくてかわいそう」と言われました。本人は2歳の頃に父は他界して父を知りませんからピンとこないのが実情です。一応、相手の方が好意で言われているようなので、「はい」と返事をしていました。いづれも、個人の認識は他者にはわからないことから生ずる”齟齬”が原因と思います。それ故、最近、”齟齬”の存在を話す事をライフワークにしています。本日は、この辺にて 孜拝

投稿者:孜: at 2010/07/15 12:51

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