2015年02月01日
テロ犠牲を悼み、宗教について思うこと。
本日、イスラム国により、2人目の日本人が殺害された。又、多くの他国のテロ事件により、尊い人命が失われた。ただ、合掌して、冥福をお祈りするしか、市井の小生には無い事は、残念である。ただ、宗教に対する思いを書かせて頂き、宗教観の齟齬が、紛争の種とならない様、一言、書かせて頂きます。この一文に、賛同されたら、言語に巧みな方は、他国の言語で、この一文、拡散して頂ければ幸いです。
「宗教とは、各自が、この世界より観ずる存在。しかし、十人十色の認識が異なるゆえ、それだけで、多くの宗教が生まれ、多くの神仏が信仰される。それ故、この世界は一つであるから、その存在は、同じである。然るに、宗教の争いがある。ただ、己の宗教を肯定し、他の宗教を否定する愚行から、争いが起きるを省みない人々。困ったものである。人間に考える叡智と同じくらい、世界を観ずる感性を豊かにしよう。さすれば、この世界は一つ、人も世界の一部と刮目するであろう。」
「宗教とは、各自が、この世界より観ずる存在。しかし、十人十色の認識が異なるゆえ、それだけで、多くの宗教が生まれ、多くの神仏が信仰される。それ故、この世界は一つであるから、その存在は、同じである。然るに、宗教の争いがある。ただ、己の宗教を肯定し、他の宗教を否定する愚行から、争いが起きるを省みない人々。困ったものである。人間に考える叡智と同じくらい、世界を観ずる感性を豊かにしよう。さすれば、この世界は一つ、人も世界の一部と刮目するであろう。」
投稿者:孜at 10:16| 日記