2009 年01 月15 日
今日は左義長
新年の初記事ですが・・・・・(^_^;)今日は小正月!
小正月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小正月(こしょうがつ)とは、正月の望の日(満月の日、旧暦一月十五日)のこと。現在は新暦1月15日に行われる場合もある。元日を大正月と呼ぶのに対してこのように呼ぶ。中国式の太陰太陽暦が導入される以前、望の日を月初としていたことの名残りと考えられている。なお、この小正月までが本来の松の内であり、関西地方や近畿地方では現在でも1月15日の小正月までが「松の内」である。
小正月の行事といえば左義長(地方によってはどんど焼きとかさいと焼きとか・・・)ですが、かつては青年の元服式を小正月に行っていた為、1/15が成人の日に制定されたって知ってましたか?今はハッピーマンデー法の適用の下に、第二月曜になってしまっていますが・・・。
当社の左義長は1月15日に毎年変わる事無く斎行しております。今日は久々の雪の左義長で、雰囲気は良いのですが除雪など準備が大変でした。昨年のブログでも紹介しましたが、「左義長」の由来は下の通りです。
左義長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
農家によるどんと左義長(三毬杖・さぎちょう)とは、小正月に行われる火祭りの行事。地方によって呼び方が異なる(後述)。日本全国で広く見られる習俗だが、東京では江戸時代、万治、寛文と、火災予防のために禁止されて以降廃れた。
起源は諸説あるが、有力なものは平安時代の宮中行事に求めるもの。小正月(正月十五日)、平安時代の宮中で、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖三本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事があり、その年の吉凶などを占ったとされる。すなわち、山科家などから進献された葉竹を束ねたものを清涼殿東庭にたて、そのうえに扇子、短冊、天皇の吉書などを結び付け、陰陽師に謡い囃して焼かせ、天覧に供された。『故実拾要』によれば、まず烏帽子、素襖を着た陰陽師大黒が庭の中央に立って囃をし、ついで上下を着た大黒2人が笹の枝に白紙を切り下げたのを持ち、立ち向かって囃をし、ついで鬼の面をかぶった童子1人が金銀で左巻に画いた短い棒を持って舞い、ついで面をかぶり赤い頭をかぶった童子2人が大鼓を持って舞い、ついで金の立烏帽子に大口を着て小さい鞨鼓を前に懸け、打ち鳴らしながら舞い、また半上下を着たものが笛、小鼓で打ち囃す。毬杖(ぎっちょう)三本を結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれた。
これが民間に伝わり、現在の形になったとされる。どうして現在一般的な「左義長」という字があてられたのは、不明である。
さて、明日は残灰の片付けですが、今年は少し多そうだぞ。
投稿者:葉二(はふたつ)
at 23 :15| 神社のお仕事
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