2009 年8 月26 日

お引越し

この度ブログのお引越しをします。

新しいブログは
神主の独り言Part2
です。

よろしくお願いしますm(_ _ )m

投稿者:葉二(はふたつ)at 18 :27 | とりあえず日記

2009 年5 月25 日

離村地区の残された社殿

なんか重々しいタイトルですが・・・。
今朝は山中温泉の一番奥地、旧の真砂町まで行ってきました。この真砂地区は山中漆器の発祥の地とも言われ、かつては多くの人々が住んでいましたが、平成10年10月に住人は町を離れ、山中温泉地区や加賀市内などに転居しました。
この際、氏神「真砂神社」の御神体はうちの白山神社に遷座され、今でも旧の真砂地区の人が春秋の祭りに各地から集まります。
御神体は遷られましたが、当時数戸の住人では社殿の解体もままならず、放置されていました。
・・・しかしながら・・・旅の方がこの地を訪れた際に崩壊した拝殿を見て、市役所に「何とかしなさい!」と連絡をされたとか?・・・確かに事情の解っている我々はこの惨状を理解できますが、知らない方には?????の世界でしょうねぇ・・・。
・・・で、「真砂会」の方々が、崩壊社殿の整理を始める前にお祓いを!と言うわけで、この奥地に出掛けて来たわけです。

真砂神社



左右には3本の老杉が社殿を見下ろしており、神域である事を否応がなしに感じられる空間です。

真砂神社1



社名は「真砂神社」ですが、参道には大正12年に建てられた「天照皇大神宮」の社号標があります。ご祭神は「天照皇大御神」で、この山中の奥地に何故皇室神がお祀りされたかは・・・・・ミステリーです。

真砂神社2


投稿者:葉二(はふたつ)at 22 :46 | 神社のお仕事

2009 年5 月18 日

平成21年 美川おかえり祭

さて今年も白山市美川地区(旧美川町)の「おかえり祭」の助勤奉仕をして参りました。藤塚神社の宮司とのご縁でここ4年ほどご奉仕させて頂いております。
おかえり祭は石川県無形民俗文化財に指定されている美川地区の鎮守「藤塚神社」の春季祭礼です。神社氏子地区の10町の台車(読みは「だいぐるま」:実際は新町は東西有り、他に船職組と家方組が加わって13台の台車)が神社神輿の先導をし、青年団のラッパの音に導かれて町の南端の神社を早朝に出発。全ての町内を巡って、町の中心のお旅所に深夜到着。
御神体はお旅所に一日お泊りになり、翌日の午後9時頃再び御神輿に遷され、やはり台車、ラッパの先導の下、藤塚神社に帰ります。
帰路は順番で決まった一町内のみを通って帰るのですが、この「おかえり筋」とよばれる町内では、台車の引手や、神輿の担ぎ手、青年団、神職総代を「舞い込み」と呼ぶ接待でもてなされながら神社へ帰るので、神社への到着は午前3時過ぎ、御神体をご本殿に遷すと白々夜が明けてきます。
祭りを主体する神社、総代会、実行委員会の方々。祭りを請け負う10町内の氏子や美川校下青年団。10年に一度巡ってきて、もてなしをしたりその為に家の改装を行うおかえり筋の方々。双方とも大変なお祭ですが、実に地域が一丸となった素晴らしい行事です。

本年の私の役目は・・・・・
初日は最初だけ御神輿に付いてご奉仕をしましたが・・・。お旅所の準備と当番になり直ぐにお旅所へ。・・・お供え物や撤下品の準備と、16日に来られる方のご祈祷をご奉仕してました。
・・・ので・・・
神幸祭の長〜い道筋を歩く事は無かったです(^_^)v

H21おかえり祭(お旅所)


お旅所の様子

16日も夜の11時頃になると、御神輿がお旅所境内に到着し、30分ほど境内を回ってからお旅所に入ります。
H21おかえり祭(神幸祭到着)



17日は午後9時過ぎに還幸祭にお旅所を出発した御神輿を見送った後、お旅所の片付け等を済ませて、おかえり筋で合流しお祓いを奉仕しました。
H21おかえり祭(還幸祭の道筋)



18日午前3時過ぎに御神輿が藤塚神社に到着します。
H21おかえり祭(還幸祭到着)



私のmixiでは動画もアップします。

投稿者:葉二(はふたつ)at 21 :51 | 神社のお仕事