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2008 年3 月1 日

諸星裕「プロ交渉人」

弁護士として事件の代理人として法廷に出廷し、また調停官として調停の席にのぞむと、いろんなタイプの弁護士と出会う。中には、絶対に自分の依頼者の言っていることが正しい、それに反することを言う相手方は弁護士ともども嘘をついている、そんな相手方に有利な証拠は偽造だ、そんな相手方の主張は徹底的に反論してぐうの音も出ないようにすべきだ、というタイプの弁護士がいる。

私はたぶん、その対局だろう。自分の依頼者の言っていることが本当に真実なのか、事実はどうなのか、依頼者の言い分に証拠の裏付けがあるのか、その証拠の信用性は崩されないか、もしかして自分の見落としているポイントがあるのではないか、相手方がそこまで言うからには何かその背景があるのではないか、相手方の主張に裁判所が乗ってくる可能性はないか、紛争にはそれぞれの言い分があり、一方が100%正しいことはあり得ないし、仮にそういうことがあったとしてもそのような紛争であれば裁判所に持ち込まれるまでもなく解決されているだろうから、裁判にまでなるような案件ではそれぞれの言い分があるのではないか。そんなことをいつも考えている。だから、私が代理人についた事件で判決にまで至るのは、相手方が一歩の妥協もしない事件に限られるし、こちらに分のある事件ではほぼ100%和解で終わっているのではないだろうか。

諸星裕『プロ交渉人』集英社新書を読んだ。その中に「交渉というのは不思議なもので、こちらが絶対有利な状況だからといって「押せ押せ押せ!」で進めて、すべて相手が引くのだったら、交渉人はいらない。素人で充分だ。交渉とは、主張と譲歩の兼ね合い。どこを押して、どこを引くのか。その駆け引きの連続である。交渉ごとは一般的に六つ、七つの要件で構成されていることが多い。その中で、二つ負けて五つ勝つ。あるいは三つ負けて四つ勝つようにする。」(51頁)、「プロ同士の交渉では、全部勝手はいけないということだ。いくら現在敵対関係にあるといっても、交渉はあくまで人間同士の仕事。ゆえに徹底的に叩き潰すなどというのは子どもか素人のやることにほかならない。」(52頁)という下りがあった。
相手のプライドとエゴもあるから、相手の退路も用意し、相手の顔を立てて、円満に解決する。その結果、話し合いでは4譲歩するかもしれないが、その後の取立やその後の付き合いへの影響を考えれば、結果的にはトータルの紛争解決費用としては安くすむし、和解では6しかとれなかったかもしれないが、4譲歩した分が投資となって将来的には限りなく10に近づくことになる。逆に、判決で10とったところで、執行費用やその後の取引でことごとく足を引っ張られることになれば、結果的には6以下になってしまう。

 先日も、離婚の事件があった。相手方は離婚訴訟の定石にしたがって、まずは自宅の仮処分をかけてきた。その後、離婚調停と婚姻費用分担調停を申し立ててきた。しかし、仮処分をかけ、婚姻費用の請求までしたことによって、自宅を勝手に売るつもりもなく、できるだけの金銭給付はしようと思っていた依頼者は逆に感情的になった。自分に対する不信感をあからさまに、しかも表立ってぶつけられ、メンツ・自負心が丸つぶれになったからだ。確かに、世の中には、まず先手必勝で最初にバンと言って聞かした方がよい解決につながることもあるが、紛争解決に定石は禁物だ。

投稿者:ゆかわat 14 :47 | 日記 | コメント(0 )

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