2019 年1 月14 日

新年にあたって

遅くなりましたが、皆さま明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

1.旧年中の出来事
(1)良かったこと
・京産法科大学院で私のゼミ生3人が司法試験に合格したこと
・日弁連司法シンポジウムで中村クマちん先生(旭川)と司法漫才をして皆からうけたこと
(2)良くなかったこと
・最高裁で弁論が開かれ原判決が取り消されると思っていた事件が上告不受理となったこと(一般廃棄物処理業(浄化槽汚泥収運業)収集車両増車不承認取消訴訟 争点は狭義の訴えの利益)
・土地所有者が排出事業者に廃棄物の撤去費用の損害賠償を求めた民事訴訟が地裁高裁ともに認められなかったこと
(3)執筆論文
「土地区画整理事業における実務上の諸問題」(産大法学51巻3・4号 2018年1月) 
「法科大学院における行政法教育」(産大法学52巻3号 2018年10月)

2.今年の抱負
(1)湖東事件再審開始決定を確定させ無罪判決をとること
(2)廃棄物撤去を求めた民事訴訟で最高裁で原判決取消しの判決を勝ち取ること 4件目の最高裁弁論事件を
(3)行審法審査請求や審理員審理で新たな知見を得ること 行審法の一層の活用
(4)京産法科大学院の修了生(私のゼミ生)の司法試験合格!
(5)大阪学院大学法学部・大学院で新しく授業を担当すること ちょっと緊張
(6)京都弁護士会に行政法に関する委員会をつくり弁護士の行政事件の力量を高めること

投稿者:ゆかわat 12 :52 | ビジネス | コメント(0 )

2019 年1 月12 日

日経大機小機「様変わりする官の権威」

1月12日付日経新聞朝刊の大機小機「様変わりする官の権威」

「平成の30年間に様変わりしたもののひとつに「検察の権威」がある。かつて特捜部が取り扱った贈収賄などの大型事件は、国家的な正義の発露として受け止められた。大きく変わったのは、旧日本長期信用銀行の破綻に伴う粉飾決算事件あたりからだ。国策捜査といわれた同事件で、故大野木克信元頭取ら経営陣は2008年、最高裁で無罪判決を勝ち取った。」

この記事は日産ゴーン元会長に対する特別背任等事件に向けられている。

検察・メディアによるゴーン悪者世論操作にもかかわらず、

「悪いやつをやっつけた」と検察を礼賛するわけでもない、といったあたりが多くの国民の正直な感覚ではなかろうか。「特捜検事ならあれほどの案件が持ち込まれたら飛びつくでしょう。でも、国民の支持が以前ほど強くないという思いはあるかもしれない」と検察OBは言う。ゴーン元会長の逮捕時に勝ち誇ったように記者会見した同社の社長兼CEOにも批判の矢は向く。株主や従業員に自らの非力を恥じ、謝るべきだった」。こんな指摘は多い。」

さらに、記事は続く。

「権威の低下は広がりも見せる。産業革新投資機構前社長の田中正明氏が報酬を巡る経済産業省の信義則違反を厳しく問い、「日本は法治国家なのか」とまで言い放った一件である。旧三菱銀行時代から企画畑を歩んだ田中氏が、首相官邸との蜜月を楯に霞が関でも権威をふるう経産省に反旗を翻すとは、同省幹部も想像しなかったのではないか。
二つの事例を俯瞰して見えてくるのは、心のどこかで官を上に見る「日本の古層」が崩れつつあるという側面だ。」

鋭い的確な指摘だと思う。
官が、権威的で一方的な思惑で権限・公権力を行使したら、それがそのまま通用するという時代は終わった。いや、終わらせるべきだ。
今こそ、官の中にも多様な民間人を入れ(官民人事交流・官の多様化)、おかしいと思うことは中でも外からでもちゃんと一人ひとりが意見を言い、それを透明化して皆が知れるようにする(権力の可視化・透明化、透明な手続保障)ことが重要だ。

投稿者:ゆかわat 10 :47 | ビジネス | コメント(0 )

民事訴訟のIT化

世の中、何でもIT化で、いよいよ、最もIT化から取り残れていた裁判の世界にもIT化の波が押し寄せてこようとしている。諸外国ではどうのとか、OECD加盟国の中で日本の裁判IT化は下のほうだとか言われている。

しかし、民事訴訟の本質は争いのある法律関係の確定です。行政の申請手続や会社の会議のように、皆が同一の方向に向いているのではなく、当事者間や当事者と裁判所との間で争いがあります。
争いのある訴訟を進めるための道具が弁論です。その核心は口頭弁論です。
口頭弁論の目的は、当事者・裁判所三者間のコミュニケーションによる審理の充実です。
したがって、問題は、原告・被告・裁判所三者間コミュニケーションためにITをどう活用できるのかというところにあります。ITがコミュニケーションにとって有効であるならばIT化を進めればよいが、ITだけではコミュニケーションが完結しないのであれば民事訴訟のIT化だけを進めればよいというわけにはいきません。

皆さん自身ご経験のあるところだと思いますが、書面(紙媒体であれ、PC画面であれ)だけで書面を書いた人の言いたいことが分かる場合もあれば、分からない場合もあります。むしろ、口頭で議論していてはじめて、ああこの書面はそれが言いたかったのか、ああここに書いてあるこの言葉がそれを意味していたのかということが分かったという経験がおありだと思います。
コミュニケーションをする上で重要なのが相手方と対面することです。リアルタイムで自分の考えを伝える、相手の考えを知るためには、口頭で行うのが一番です。書面では書く時間が必要であり、どうしてもリアルタイムで伝え知ることは無理です。簡単な会話はチャットでできるでしょうが、争いのある事件の解決のために、事実を伝え、証拠の核心・見方を議論し、考えを理解してもらうためには、チャットでは無理です(もちろん、中にはできる人もいるでしょうが、裁判では平均的な人は誰でもできるものでなければなりません。)。

さらに、相手の考えを知るためには、言葉を聴くだけではなく、相手が何を見ながらそれを言っているのか、同じものをリアルタイムで見る必要がありますし、また相手の表情をリアルタイムで見る必要があります。そこにPCの操作が必要だということになると、どうしてもリアルタイムでのコミュニケーションができません。

したがって、民事訴訟全面IT化はリアルタイムでのフルコミュニケーションには適合しない(漫画や映画のように電脳仮想空間で行えるようになれば別ですが)ので、当事者が遠隔地にいる等の事情により三者がそれに同意している場合でない限り、許されないというべきだと考えます。

当面は、ITが民事訴訟のコミュニケーションツールとしてどこまで使えるのかを見定めていくということではないでしょう。それを通り越して、今の時点で何時いつまでに法改正もして民事裁判の全面IT化を進めるというのは、将来的な政策目標としてであればともかくとして、現実的な課題としては誤りであると考えます。

投稿者:ゆかわat 07 :56 | ビジネス | コメント(0 )