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2013 年5 月12 日

法社会学会ミニシンポジウム

11日午後の日本法社会学会ミニシンポジウム「原子力損害賠償の現状と課題?」に出席した。 佐藤岩夫・東京大学教授の報告は、被災者調査の結果、法律専門家への相談は被災地に法的支援拠点を設置するというアウトリーチの効果が大きいこと、 「しても無駄だから」という理由で 原発ADR等の法制度の利用に消極的な傾向が相当数あること、原発事故被害は複合的でありその被害回復も総合的に行われなければならないのにもっぱら損害賠償=金銭賠償に切り詰められていることに「しても無駄だから」という消極的傾向をもたらす遠因があるのではないかとの報告であった。損害賠償のサポートから多様な支援へ、というのは、日常的に不法行為問題に接するときには常に突きつけられる問題で、なるほどと思わされる。 しかし、私個人としては、最後の、現地で被害救済に関わっている浜通り法律事務所・渡辺弁護士と司法書士の報告が一番興味深かった。 東電への直接請求の方が時間的にも早く金額的にもある程度のものが支給される反面、弁護士に依頼してADRに申し立てしてもどうせ賠償金額が伸びないことの不信が原発ADR不活発の理由ではないかとの指摘があった。 弁護士による相談会があっても、しっかりした広報(ここに行けば、最新の情報が得られるとか、要するに得るものが確実にあるという宣伝)と、あの先生はいい先生だという口コミがなければ、人は集まらないという。弁護士という肩書きだけでは、もうニーズは掘り起こせない時代になったのだと実感する。 しかし、それよりも興味深かったのは、自らも福島第一原発から4kmの大隈町で開業していて被災した司法書士の先生の話だった。 今も東電の行う説明会には被災者がいっぱい訪れて、騒ぐのではなく、静かに説明を聞き、そればかりかこれはどう書くのかと東電職員に説明を求め、東電職員は被災者に親切に手をとり説明するのだという。被害者が加害者に対して激怒するのではなく、また被害者を救済する立場に立つ弁護士の話を聞くのでもなく、自らの生活を破壊した加害者による救いを静かに求めるというのだ。破壊神に対して救いを求め、破壊神はそれに応じて救世主のように慈悲深く救いを施す。まるでシュールな演劇を観ているかのような怖さに襲われる。ぞっとするような、これが日本の法の現状なのだろう。

投稿者:ゆかわat 12 :06 | ビジネス | コメント(0 )

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