2005 年10 月26 日
医療過誤事件に踏み込む最高裁
最近の最高裁の判例を見ていると、行政訴訟でもそうであるが、民事訴訟でもこんなところまで踏み込んで判断するんだ、と思うことがままある。月2回裁判所時報というのが裁判所部内で発行される。最新号を見ていると、医療過誤の事件(平成17年9月8日第一小法廷判決)が掲載されていた。
産科の事件で、帝王切開術を強く希望していた夫婦に経膣分娩を勧めた医師の説明が説明義務に違反すると判断して、東京高裁の判決を破棄したものがあった。いわゆる逆子の出産で夫婦が帝王切開を強く希望していたが、医師は、逆子の場合の経膣分娩の経過や帝王切開術の危険性等のほか、逆子の場合前期破水すると胎児と産道の間を通して臍帯脱出を起こすことがあり、早期に対処しないと胎児に危険が及ぶおそれがあるが、そのときは帝王切開術に移行することなどについて経膣分娩を勧める口調で説明し、その後も何度か帝王切開にしてほしいという夫婦に対して分娩中に何か起こったらすぐに帝王切開術に移行するから心配ないなどと説明していた。出産については、経膣分娩を試みたものの、人工破水後に臍帯の膣内脱出が起こり胎児心拍数が急激に低下し、破水後に帝王切開術に移行しても胎児娩出までの時間を考慮するとかえって予後が悪いとの判断から経膣分娩を続行したが、結果的に、子供は死亡したという事故だ。
通常の事件であれば、この経膣分娩の方法や帝王切開術の適応判断の誤りをとらえて訴訟が進められるのであるが、本件では、おそらくこの手術の経過を見る限り、医師に過失があるとまでは言えないと判断したのであろう。それで医師の説明義務違反により帝王切開術による分娩の機会を逸したという構成で訴訟が進められたのだろう。
医師としては一通りの説明はしたが、結果的に不幸な条件が重なり、重度の仮死状態で子供が出生することになっただけであって、大変不幸な結果にはなったものの医師には説明義務違反の過失はないというのが一般的なとらえ方だと思う。だから、東京高裁もそのように判示して医師の責任を否定した。
ところが、最高裁は、胎児の新しい推定体重や胎位等分娩方法の選択にあたっての重要な判断要素となる事項についてその最新情報を具体的に説明すべきで、かつ、帝王切開術は移行までに一定の時間を要するから移行することが相当でないと判断される緊急の事態も生じうることも告げるべきであったとして、それを告げなかったから説明義務違反があるとした。これは、医師としては、将来実際に起きた事象を予め予想してそれをすべて患者に説明すべきだとするものであって、極めて高度の説明義務を医師に課するように思われる。医師としては治療方法の選択につき裁量を認めるが、その代わりその方法を選択した場合に予想される最悪の事態まで説明すべきだということであろうか。
この高度の説明義務を導くキーワードになっているのが、「患者の申出には医学的知見に照らし相応の理由があったということができるから医師はこれに配慮すべきだ」という「配慮責任」だ。この「配慮」というキーワードは、紀伊長島町水道水源保護条例事件でも使われたマジックワードだ(何故マジックワードだというかと言うと、問題とされている法令・条例には一切使われていない用語であるのに、その用語を持ち出すことによって、事業者が救済されているからだ。)患者の立場からすれば当然の事柄であろうし、インフォームドコンセントというのはまさにこういうものだろうが、医師からすると極めて困難なことを求められていると思う。
それと同時に、この判決を見て感じるのは、医師の過失の有無といういわば事実問題を、医師の説明義務という視点からとらえることによってこれを法令解釈の問題として取り扱って最高裁の判断をしているのだが、事案の救済に最高裁が一歩踏み込んでいるということを強く感じるものである。
投稿者:ゆかわat 14 :14| ビジネス | コメント(0 ) | トラックバック(0 )