2010 年03 月14 日
法科大学院コアカリキュラムシンポジウム
昨日は、関西学院大学で行われた「コアカリキュラムと法科大学院教育」シンポジウムに参加した。
甲東駅から坂道を上ってきれいな桜並木(まだつぼみだったが)を抜けると、きれいな関学のキャンパスが広がる。法科大学院には学者だけでなく弁護士も実務家教員として多数かかわっているだけあって、今日のシンポにも、昔、東京にいた頃に一緒に弁護士会活動をした懐かしい先生方が多数来ておられた。
去年から本格的に法科大学院教育に関わることになった私からすると、「コアカリキュラム」というのはとても不思議で、今の法科大学院の置かれている状況を象徴的に示す混迷したものに感じられた。
コアカリキュラム調査研究グループによると、コアカリキュラムとは、「法科大学院において修得すべき学習内容・水準に関する共通のミニマムスタンダードであり、すべての法科大学院修了生が、最低限、修得すべき学習内容・水準を示すという意味での到達目標」であり、「単位認定や修了判定に際しての成績評価の基準」であるとされる。
そうであれば、それはまさに法科大学院の3年間で教えるべき最低限の授業内容を意味するし、それは法科大学院の認証評価基準となるだろうし、司法試験の範囲を画するものとなると考えるのが筋だろう。ところが、コアカリキュラムの「すべて授業で取り上げることを求めるものではない」というし、認証評価基準となるかどうかも、司法試験と関連するかどうかも分からないという。自学自習で修得すべきものだというのであれば、法科大学院の授業とは何なのかということになりはしないか。
そもそもコアカリキュラムが策定されるに至ったのは、「今日、法科大学院を修了し司法試験を受験している者や司法修習を受けている者の一部に法律基本科目等に関する基礎的な知識・理解や法的思考能力が十分身に付いていないと思われる者が見られる。」との問題意識からであった。ならば、コアカリキュラムで求められるのは「法律基本科目等に関する基礎的な知識・理解や法的思考能力」の涵養であって、先の「ミニマムスタンダード」とはややニュアンスが違うように思われる。
また、その問題意識は、旧司法修習で行われていた司法研修所における前期修習が廃止されたことの代替教育・実務導入教育が法科大学院に求められているということもであろうが、先の「ミニマムスタンダード」はこれともニュアンスが違うように思われる。
医学部におけるコアカリキュラムというのはその全部を授業で扱うべきカリキュラムとされているというし、それが「コア」という用語の趣旨とも合致すると考えられるのに、法科大学院におけるコアカリキュラムはそれとは異なるというのは誤解を生まないか。
結局は、法科大学院教育の趣旨・目的は何か、コアカリキュラムを策定する趣旨・目的は何かという点の共通理解が十分になされていないことが最大の問題のように思われる。
まさに法科大学院の「コア」が揺らいでいる(あるいは「コア」が固まっていない)ような印象を受けた。
投稿者:ゆかわat 07 :33| ビジネス | コメント(0 )