<< 前のエントリ |メイン | 次のエントリ >>
2010 年03 月18 日

日弁連行政訴訟センター

  久しぶりに日弁連行政訴訟センターの会議に出席した。1年ぶりくらいだろうか。久しぶりに行くと、私が顔を知らない若い先生方が大勢おられた。私もロートルの部類に入ってきたのだろうか。

 今秋の日弁連司法シンポジウムでは久しぶりに行政訴訟法の分科会が開かれるところ、その議論をしている際に、「以前の12回シンポジウムの時の記録を参考にしてはどうか」などという意見を述べたが、考えてみると、それは10数年以上も前のことであった。いかに自分が時代遅れ、過去を生きているかを思い知って、愕然とした。

 それはともかく、自分の思っていることやその場で思ったことを好き勝手にしゃべってきて、自分なりには久しぶりにすきっとした思いで(主宰者にしてみると、議論を混ぜ返したり、蒸し返したりして、ハラハラされたことだろうが)、東京を後にした。

 司法シンポジウムの行政訴訟分科会では、「行政裁量統制」が一つの課題となる。
これまで日弁連では行政事件訴訟法30条を改正して、裁量審査事項を明定しようというのが方向だったが、私はこれに対しては異論があった。それよりも、個別行政法規の見直しが必要だと思っていた。適用すべき法規がないのでは司法審査は無理だからだ。

 しかし、最近では、それに加えて、いや、それ以上に、行政処分をする際の理由・判断過程の文書化を行うべきだと思っている。確かに行政手続法により申請に対する処分や不利益処分をする際には理由を提示するように義務付けられた。しかし、それ以外の処分においてはそのような義務はない。そのため、行政処分をしたときの決裁文書を情報公開請求しても、「別紙の通り処分してよろしいか」という起案文書の本文に処分や通知文が添付されているだけで、一体、行政庁の中で、、どのような事実を認定し、どのような事項を考慮して、また関係者や関係機関とどのように協議してその処分をしたのかが全く明らかではない。
 しかし、それでは司法審査は機能しない。なぜなら、裁量処分に対する司法審査は、判例法上、行政処分の基礎とされた重要な事実に誤認があるか、考慮すべき事項を考慮していなかったり、考慮すべきでない事項を考慮したりするなどして裁量処分の過程に著しい不合理があるかを審査することとされている。そのためには、行政処分時に何が考慮されたのかを示す記録が不可欠である。訴訟になってから事後的に処分の理由を示されてもそれは後出しの理由でしかない。司法審査を充実させるためには、行政処分の過程を可視化することが不可欠なのだ。加えて、行政処分の時点で、将来訴訟になったときに備えて処分理由を書面で残すことを求めることは、行政に対してとてつもない緊張をもたらすものであって、それ自体に重要な意義がある。しかも、これなら山のようにある個別行政法規を見直さなくても、総務省の所管する行政手続法に1条追加するだけで足りる。
どんなものだろうか。

投稿者:ゆかわat 22 :44| ビジネス | コメント(0 )

◆この記事へのコメント:

※必須