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2010 年07 月28 日

副島隆彦・佐藤優「小沢革命政権で日本を救え」(日本文芸社)

 おどろおどろしいタイトルの本だが、ふと目に付いたので手に取ってみた。
 民主党政権を国民の選挙によって選ばれた民主党連立政権による政府と霞ヶ関官僚による政府との権力闘争という枠組みでとらえ、霞ヶ関官僚の側にアメリカ・財界・マスコミが荷担し、情報操作を行っているという。
 そして、鳩山前首相・小沢前民主党幹事長辞任を、外務・防衛官僚と検察官僚によるクーデターであるとし、また、小沢捜査を、小沢つぶしを国益・社会正義と信じる検察官僚による暴走であるとする。この辺の認識は同感だ。

 また、鳩山前首相の「発言のブレ」をその時々の変数の変化に基づく最適解を見出す多変数解析に基づく決断であるとする。一度こうと決めたら誰がなんと言っても変えなかった自民党・官僚政治よりも、その都度民意を的確に反映して最適な決断を行おうとする鳩山流の決断の方がよども民主的な政治判断の手法であると思っていたので、この点も同感だ。

 同時進行の同時代をどのように認識・評価するか。
 自分の見解こそが正義・真実だと信じて公共の電波・新聞媒体を使って一方的に情報発信するマスメディアの情報の洪水と、いまだに大岡越前や遠山の金さんや水戸黄門と検察官・裁判官とを同視する風潮を悪用する検察特捜部と裁判所の官僚としての保身的判断の中から、どうやって真実を見出し、日本におけるはじめての民主主義革命を定着させるか。真剣に自分の頭で模索すべき時だ。

 実は、これは行政法の解釈においても同様だ。行政法は、官僚が自分たちの正義に基づいて作り上げた法律の体系だ。これまでの行政法学は、意識するかしないかはともかく、それを正当化してきたものにすぎない。だから、民主党が「地域主権」を提唱し、国家行政組織法にない国家戦略室を立ち上げ、八ツ場ダム建設の凍結を打ち出したときに、行政法学者からは激しい反発を受けた(私自身も含めて)。「官僚・統治のための行政法」から「国民・自治のための行政法」を積極的に模索すべき時が来ている。今なら、まだそれが実現することができるのだ。

投稿者:ゆかわat 00 :08| ビジネス | コメント(0 )

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