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2010 年09 月26 日

今、検察が問われているもの

 郵便料金不正請求事件無罪判決、前田特捜検事の証拠ねつ造事件、そして尖閣列島中国船長事件という一連の事件で検察が問われているものは、検察の捜査の常識が世界の常識グローバルスタンダードに照らせば非常識だということだ。
 中国船長事件に至っては、検察が政治情勢を判断して処分保留で釈放したのに、中国政府はさらに態度を硬直化させて、日本の司法手続きは無効であるとして日本政府に謝罪と賠償を求めている。心情的には何なんだということになるが、冷静に考えると、何でも否認したら逮捕して勾留してさらに勾留延長するのが捜査の常識であったが、それが間違っているということではないか。
 起訴便宜主義の見地からすれば、検察が世論の動きや政治情勢を考慮して処分保留のまま釈放するのもおかしくはない。那覇地検が福岡高検、最高検と協議した上で、これで問題なしとして記者会見をしたのだが、それが国際政治情勢を考えれば、全くの素人判断だったということだ。
 前田検事の証拠ねつ造にしても、これまで常識的におこなわれてきたことだ。少なくとも証拠のねつ造まではなくても、被告人に有利な証拠を握りつぶし、これを隠匿することは日常茶飯事的におこなわれてきた。死刑えん罪事件の反省の上に立って証拠開示には応じないという姿勢がとられるようになった。
 弁護士は常にこうした検察のあり方を批判してきた。しかし、その批判に一向に目を向けなかったつけが今でてきているのだ。
 同じ批判は、裁判所にも向けられるべきだ。今までこのような検察のあり方を黙認して、正当化してきたのは裁判所だ。
 そんな司法手続きは、「人質司法」で無効だと私たちはずっと叫んできた。今、中国がそれを言っているにすぎない。私たちが言っても聞き入れないが、中国が言ったら聞き入れるというのは情けない限りだが、これまでも日本の司法はアメリカ等の外圧によって開かれてきたのが真実だ(行政手続法がその典型例だ)。
 検察、そして司法手続きを、グローバルスタンダードで見直す契機とすべきだ。
 
sora220922

投稿者:ゆかわat 22 :57| ビジネス | コメント(0 )

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