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2011 年03 月28 日

東日本大震災とごみ

  政府は25日、東日本大震災で流失した家屋などの撤去について、がれき化した建物は所有者の許可なく撤去・廃棄できるとの指針を自治体に通知した。アルバムや位牌(いはい)などは、財産的な価値はなくても家族には価値があると位置づけた。回収できた場合は保管、閲覧できるようにしたうえで、所有者に引き渡すことが望ましいとの見解を示したという。

 ここには、いくつかの問題が含まれている。がれきは廃棄物かという問題と、がれきの所有者は元の建物の所有者かという問題が混在している。
 最判平11.3.10は「廃棄物=不要物」の判断基準について、「不要物」とは、自ら利用し又は他人に有償で譲渡することができないために事業者にとって不要になった物をいい、これに該当するか否かは、その物の性状、排出の状況、通常の取扱い形態、取引価値の有無及び事業者の意思等を総合的に勘案して決すると判断した。そうすると、津波被害にあって押し流されたがれきや自動車は、学校の校庭にあろうが、民有地にあろうが、もはや利用することはできず取引価値もないから廃棄物と言わざるを得ない。
 この「廃棄物」に該当するかどうかの判断基準を、廃掃法の所管庁である環境省が通達を出すということはあり得るだろう。

 しかし、廃棄物かどうかは、廃掃法の解釈問題だから、国が解釈指針を出すことは理解できるが、「廃棄物」かどうかは廃掃法上の概念であって、民法上の概念ではない。したがって、「廃棄物」だということになって、廃掃法上の処理義務が発生したとしても、それが所有権の客体足り得るかどうかとは別問題だ。そればかりか、それが刑法上の窃盗罪の客体となるかどうかも別問題だ。通常、ごみは、その所有者が不要だから捨てるものであるので、所有権が放棄されたものと考えることができる。したがって、廃棄物であれば、それを廃棄処分するのに所有者の承諾を得る必要はない。しかし、震災によってがれきとなった物は、所有者の意思に基づいて放棄されたものではないから、廃棄物=所有者の承諾なしに廃棄処分できるということにはならない。
 そもそも、所有権の客体となるかどうかの問題は、所有権にかかわる問題であるから、政府が解釈指針を出せる筋合いの問題ではない。

投稿者:ゆかわat 21 :15| ビジネス | コメント(0 )

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