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2012 年07 月12 日

大津市中学生いじめ自殺事件

大津市中学生自殺問題で新聞やTVで連日報道がなされている。  大津市長が「市教委の調査はずさんで全く信用できない」と答えたという。  市教委はアンケート調査を実施したが、回答の中に首締めや葬式ごっこの記述があったものの、回答した生徒に確認したがあまり覚えていないと答えたので事実とは確認できなかったという。  ここで問題なのは、小学校をはじめとする学校関係者の「事実認定」の能力不足というか、事実認定の技法についての無理解だ。これは自分の子供の学校でも思うことだ。もしかすると、これはお役所全体の問題かもしれない。  公共事業の談合疑惑があるとき、役所は談合の事実は確認できなかったので、今後そういうことのないように注意したいとよくいう。入札参加業者に聞いて、うちはしてませんと言われたらそれで終わりで、誓約書をとって一件落着だ。学校でのいじめ問題にしてもそうで、いじめたのかと直接聞かれたら、してませんと言うに決まっている。いじめを見たのかと聞かれたら、見たと答えたら何で止めなかったと言って怒られるし、友達からも今後友達つきあいしてもらえないし、下手するといじめの対象にされてしまう。尋ねる方も、いじめの事実は認めたくないから、あまり覚えていないと答えがあればそれにこしたことはない。  要は、談合やいじめの事実があったことを確認することが、誰にとっても利益ではないから、いじめの事実認定をしない方向でバイアスが働いている。  関係者からの証拠の収集方法、その評価方法の確立。そして、一番肝心なのは、その事実認定をする者が公平であること。公平であるとは、事実があろうがなかろうがそれによって利益も不利益も受けない立場にあること。そういう者が事実認定をしないと事実は分からない。  ところで、昨日の新聞を見ていると、「市教委の再調査が不十分なら文科省が直接調査することもあり得る」と平野文科相が発言している。教育現場の個別問題に国が直接調査すると言うのは、その権限があるのかという問題もさることながら、一体、どんな調査方法を用いるのかという問題もある。事実認定の技法・枠組みが問題なのであって、市では不十分だから国がするというのは、前近代的な中央集権・国家至上主義の発想だ。地方分権が最も重要であるはずの教育において、国がまだこういう発想を持っていること、何よりもそれを肯定的に報道するマスコミの理解が根本的な問題である。

投稿者:ゆかわat 22 :15| ビジネス | コメント(0 )

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