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2006 年01 月21 日

ライブドア事件の社会文化的本質?

今朝のニュース番組を見ていたら、本件の核心は@株式交換で会社を買収したと言っているが、実際は現金買収で株式を割り当てていないことと、A買収で得た利益を資本としてではなく売上として計上したことが大問題だと説明していた。

しかし、@新株を割り当ててそれを買い取って市場で売却したのであれば何も問題はないのではないか、Aライブドアという企業にとってみれば会社の売買で得た差益は売上げ・利益にあたるという見方ができるのではないか。

監査法人の幹部は「法律的にはともかくやっちゃいけないこと」と言って非難していた。
キャスターも「スピードや金だけを求めてものづくりを忘れている」と非難していた。ライブドアや楽天といったいわば実体のない企業に対する不安がそこにある。

 そこに見えてくるのは、旧来の社会秩序を壊してきたライブドアに対する反発であり、これまでの日本経済・株式市場の失敗・低迷をライブドアを象徴とする新たな価値観を持った若手企業が立て直してきたのに、日本経済がようやく立ち直ってきたからもうその必要はないと言って若手企業の排除を目論む旧社会秩序の復興ではないか。

 東京地検特捜部がいよいよ社会秩序の維持そのものを目的として、新たな「錬金術」の規制を図り、新秩序を経済的にも(株価はすでに半分程度になってしまった)、社会的にも(彼を支持してきた人心も離反してきた)パッシングしている姿が見えてくる。

「最近の若者は」ニートばかりでだらしないと言いながら、ライブドアのように急激に成長してきて自分たちの既存の秩序を壊し始めると、また「最近の若者は」と言ってつぶしにかかる。この日本という国は本当に救いようのない国に思えてくる。

投稿者:ゆかわat 08 :45| ビジネス | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

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