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2018 年06 月03 日

民事裁判手続きのIT化(2)

訴訟のIT化というのは、書面の提出を書面で行わなくてもいい制度とか、毎回法廷に重い記録を持って行かなくてもいい制度、法廷に行きたい人は行けばいい制度というものではない。
訴訟のペーパーレス化、つまり、訴訟関係者が全員裁判所に行って直接顔を合わせて口頭で審理するのではなく、顔を合わせることなくネットを通して弁論も証拠調べも行い記録も裁判所で一元的に管理する民事訴訟制度を作ろうというものです。
そこでは、書面が優先します。したがって、書証がそろい、ストーリーも単純な、大企業・行政優位の訴訟進行となります。
それに対して、行政訴訟や国賠訴訟は、書面になっている通知書の効力を争い、役人の作る報告書や復命書は真実が記載されていないといって争うのですから、基本的にIT化にはなじみません。
そうすると、行政訴訟・国賠訴訟は、当事者が弁護士を付けずに行う本人訴訟と同様、大多数とは違う例外扱いです。例外扱いが個別審理を意味するものではないことは、現在の本人訴訟に対する裁判所の取扱いを見ても一目瞭然です。世の中の流れに乗れない迷惑もの扱いです。

そもそも改正民訴(現行民訴)は、それまでの五月雨式の書面(記録)中心主義の裁判を、口頭主義によって事案・争点・証拠について訴訟関係者の認識の共有を図り、当事者の納得のできる紛争解決を目指すものでした。訴訟のIT化はそれを否定するものです。
ネットでの法律相談は便利ですが、依頼者の顔も見えず、本当は何を問題にしたいのかも分からず、当事者も顔が見えないので(顔が見えないことをいいことに?)感情的になりがちで、人と人とのコミュニケーション(能力)の欠如したやり取りになりがちです。訴訟のIT化はそのようなコミュニケーション抜きの訴訟となるものです。

IT化推進論者は、IT化は民訴の口頭主義・弁論主義・公開主義との調整を図って行うと言いますが、それは口頭主義等にIT化を合わせるのではなく、IT化を進めるのに合わせて口頭主義等の意味合いを見直そうというものにほかなりません。
原理原則至上主義ではありませんが、その持つ意味をよく考えるべきです。

そして、もっともIT化に消極的であった法務省や行政が、今、IT化に乗り出してくるとすれば、それが面倒な行政訴訟や国賠を「効率的に」処理できるからです。

その辺をよく見極めないで、今の時代の流れの中でIT化には反対できないだろうとか、便利になるからいいじゃないかといって賛成するのは間違いです。よく見極めた上で賛否を決めるべきです。
ましてや、国際標準だからと言って賛成するのは大間違いです。国際標準がいいのであれば、日本語の日本の法律による裁判はやめて、英語による英米法システムに変えるべきでしょう。司法手続きは、その国の文化・システムに沿うものでなければならず、国際標準だからという議論は妥当しません。

投稿者:ゆかわat 08 :10| ビジネス | コメント(0 )

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