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2018 年07 月04 日

民事裁判にIT化の波

7月2日の日経新聞朝刊に、シンガポールや韓国はIT化の先進国で、中国でも提訴から判決言渡しまですべてオンラインで行うことができる、IT化は審理の迅速化やコスト削減、利便性向上につながるのに、日本はこうした流れに取り残されて出遅れているという。

民事裁判の訴状など大量の文書を印刷して裁判所に持参したり郵送・FAXしなければならないのは利便性が悪いという。確かに原告からは利便性が悪く思えるが、大量の文書を出された相手側はどうか。大量の文書を自分の手間で印刷しなければならない。その負担は半端ない。面倒でも、裁判所用の正本と相手方用の副本を大量であっても印刷して郵送・FAXしなければならないのは、訴訟に巻き込まれた被告・相手方の負担軽減、手続保障のためだ。

IT先進国ではオンラインで訴訟手続きができるのに、日本では裁判所に足を運ぶ必要がある。大量の記録を抱えてわざわざ5分の弁論のために裁判所に出向くのは極めて非効率的に見える。しかし、わざわざ裁判所に足を運ぶのは、そこで裁判官と双方当事者・代理人がお互いにお互いの顔を見、そこで、お互いに同一の記録を何か所もめくって見ながら、「この書面のこの部分はどういう意味ですか。この書面とこの書面とで違う記載になっているのはどういう意味ですか。」と尋ね、そのときの発問者や応答者の表情を見ながら、あるいは同席している関係者に確認しながら答えて、互いに事件の理解・心証を共有していくためにある。仮に弁論が5分で終わっても、裁判官が事件記録を全く読んでいないことや当方の書面を理解していないことに気づいたりすることの意味も大きい。さらに大きなことを言えば、権利義務の有無・内容という市民社会の基本秩序に関わる問題を審理するのであるから、当事者・代理人と裁判所だけでこっそりと審理するのではなく、広く国民に公開し、広く国民が裁判の成り行きを監視すること(裁判の公開原則)はとても大きな意味がある。

日本は遅れているのではなく、訴訟で大事にすべきことを守っているのである。何でもITと言えば進んでいるとか、最高裁が自動システムで和解を進めたり、AIが裁判に関する質問に答えられるようにしようとしているのはIT,AIの時代にふさわしい、などと考えるのは、やめた方がいい。

投稿者:ゆかわat 23 :09| ビジネス | コメント(0 )

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