2019 年03 月02 日
法科大学院教員研究交流集会公法系分科会
今日は、日弁連で法科大学院教員交流集会。せっかく斎藤浩先生にコーディネーターしてもらったのに、行訴センターと執行部の内輪の会議になった。
公法系分科会のテーマは、公法、特に行政法の司法試験問題のあり方を平成30年の試験問題を例にとって議論することとアメリカカナダのロースクールと司法試験の関係を参考にすること。
私は次のような意見を述べた。
アメリカのようにロースクール教育がしっかりしているところはロースクール卒業したら基本的な実務家としての能力は養成できているので、司法試験は簡単なものでよい。特にアメリカの司法試験が資格試験ということを考えればなおのこと。
しかし、日本ではロースクール教育の歴史が浅く、ロースクール教育がしっかり確立されていない。そもそも日本の大学は入るは難く出るのは容易。アメリカと出発点が全く違う。そのためか、厳正な成績評価もできない。学生も教員も、ロースクールの出発点であった、実務と研究の架橋なんてどこ吹く風か、どうやって司法試験合格に合格するかしか目が行かない。
それであれば、司法試験があるべき法科大学院教育の頂上を示すしかない。
それが平成30年の試験問題は、法律と条例の関係も、提訴すべき訴訟も予め示されていて、明示された論点に答えるだけの7合目か8合目の問題しか出されていない。予備試験問題に至っては、予備校で覚えてきた処分性の論証フォームを吐き出すだけの3合目の問題になっている。平成29年の予備試験の問題のように、平成26年7月判決をどれだけ事案も全文も読んで理解しているかを問う問題からは、大幅な後退だ。それではだめだ。
どういう法的手段をとるか、法律と条例の関係をどう考えるか、基本判例の射程をどう考えるか、なんてそんな難しい問題出したら採点できないかもしれないが、しかし、採点の都合で試験問題のレベルを決めるのは本末転倒だ。
逆に、そういう本質的な、基本的な問題を出さずに、問題文の誘導に乗って要領よく答案を書くことだけを問う簡単な問題にするから、どんどん自分の頭で考える受験生が減り、受験生の答案の質が下がっていくのだ。
極論かな。
投稿者:ゆかわat 20 :03| ビジネス | コメント(0 )