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2006 年03 月23 日

小早川伸木の恋

最終回だけを見た。離婚調停のシーンが出てきた。当事者双方と代理人双方が同席で調停をしていた。通常、調停は、交互面接方式で行う。このドラマのような調停方式を同席調停という。私の知るところでは、最近になってから一部で同席調停が行われるようになった。

もうこれで不調だという最後になってからの同席調停だった。代理人双方とも事実関係自体を争っているようで、代理人自身が当事者よりも先鋭・感情的になっていた。現実ならこれで話し合いの余地がなく不調になるところだが、ドラマでは、当事者がそれぞれ自分の心のうちを開いて心情を吐露した。妻は自分が愛されていないのではないかと感じ、夫に2時間おきに愛してるメールを寄こすように言った。それに対して、夫は仕事が大変なのにそれを我慢してメールを送り続けた。妻はそんなに拘束に感じているのならそう言えば良かったじゃないかと言い、夫はそんなことを言ったら妻を傷つけ家庭を不和にするから言わなかったという。妻は夫の不貞をなじり、夫は妻は自分の話を全く聞こうとしてくれなかった、そんなときに彼女は自分の話を聞いてくれたという。

こんなすれ違いはどこの夫婦でもあることだ。結婚して最初のうちは、お互い何でも話し合い、お互いが相手の世界を理解しようとしあう。ところが、子供が生まれ、家庭と仕事が忙しくなり始めると、だんだんすれ違いが起き始める。そのすれ違いに気づかない夫婦、すれ違いに気づいても気にしない夫婦、それ違いに気づいてもそれを我慢しあえる夫婦、すれ違いを克服しあえる夫婦は、生涯夫婦でいられることだろう。でも、そのすれ違いに気づき、それを克服できず、それに耐えられない夫婦、あるいはそのすれ違いから別の異性を選択した夫婦は、離婚という問題に直面することになる。

離婚をするにしても、しないにしても、実はそのすれ違いをお互いがしっかりと認識し、理解し合うことが一番大切なことだ。夫婦でいる間にそれができるのが理想だ。仮にそれがだめでも、調停の場で話し合い、理解し合うことが大切だ。それがなければ、お互い憎しみあって、あるいはあきらめあって、別れ、あるいは形だけ元のさやに収まることになる。

でも、本当に大切なことは、相手のことを理解し、かつ、現実と直面することだ。それができたとき、当事者は自分たちで自分たちの進路を決断できるはずだ。ドラマでは離婚を合意で選択した。昔のドラマでは、元のさやに収まるストーリーが多かったと思うが、これも時代の流れなのかもしれない。

投稿者:ゆかわat 23 :45| 日記 | コメント(0 )

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