2006 年05 月30 日
国立マンション訴訟最高裁判決
5月1日付裁判所時報に国立マンション事件の最高裁判決(H18.3.30第一小法廷判決)が掲載されていた。この事件は、1審東京地裁では、景観権に基づき、マンションの高さ20m超えの部分の撤去を命じた画期的な判決だった。ところが、2審東京高裁で住民側の逆転敗訴となり、今回の最高裁判決となった。結論は、住民の訴えを認めなかった。しかし、私としては決して後退判決ではないと思う。最高裁判決は、第一に、「良好な景観に近接する地域内に居住し、その恵沢を日常的に享受している者」には「良好な景観の恵沢を享受する利益」を保障した。本件事案でも、国立市大学通り周辺の景観に近接する地域内の居住者に「景観利益」を認めた。これは最高裁判決としては画期的なことだ。
但し、この「景観利益」は「景観権」という権利性を有するものではないとした。この趣旨は、「景観利益」の侵害に対しては不法行為に基づく損害賠償請求は認められるが、建物撤去や建築差止請求までは認められないということだと理解される。もしかして、「景観利益」の侵害を理由とする行政処分の取消訴訟も認められるのかもしれない。
最高裁判決は、第三に、「景観利益」の侵害に対する不法行為は、「少なくともその侵害行為が刑罰法規や行政法規の規制に違反するものであったり、公序良俗違反や権利の濫用に該当するものであるなど、侵害行為の態様や程度の面において社会的に容認された行為としての相当性を欠くことが求められる」とした。このハードルは一見すると高そうだが、「行政法規」には市条例も含まれると解されるから、景観法に基づく条例はもちろんのこと、自主条例も含まれるとなると、意外とそのハードルは低い。
私の理解としては、「景観利益」は多数の人々の価値観に関わることであって、都会的景観を好む人もいれば、自然的景観を好む人もいる。海辺に立つランドマークタワーを見て、それをきれいだという人もいれば、海辺の景色を興ざめにすると思う人もいるだろう。「景観利益」を求めてその地域に多額の対価を出して移り住んできた人もいれば、何の投資もせずに結果的に「景観利益」を手にした人もいる。私としては、このような性質の「景観利益」は行政法的な手法によって住民と事業者と行政との対話によって実現すべき政策課題であると思われるのだが、最高裁はもう一歩進めてそのような主観的な価値観に関わる「景観利益」についても不法行為の成立を認めたこと自体がある意味では画期的だ。「生存権」がプログラム規定か抽象的権利か具体的権利か、というのと似ている。
ところで、私も代理人の一人として末席に関わっていた京都洛西ニュータウンの高層マンション事件について、同じく景観権に基づいて高さ20m超え部分の撤去を求めていた事件が、この5月に、同じ最高裁第一小法廷で上告棄却・上告不受理決定で終わった。論点が同じなのだから、同時に弁論を開いて、最高裁としての法的判断を示してほしかったものだ。
投稿者:ゆかわat 22 :11| ビジネス | コメント(0 ) | トラックバック(0 )