2006 年09 月02 日
最高裁長官あいさつ
裁判所時報や最高裁のホームページに、平成18年7月に開催された長官所長会同での最高裁長官あいさつが掲載されている。その中でふと気がついたのが、「司法の役割」についての言及である。長官あいさつでは、「司法の役割」について、「複雑な社会的利害を調整し、安定と発展をもたらす基盤」ととらえられていた。今度、時間があったら、改めて調べてみたいが、従来、司法の役割は、国民の権利義務の確定であるとか、社会秩序の維持とか、社会正義の実現と人権擁護であるとか、そんな枠組みの中でとらえられてきたと思う。
これらの従来の枠組みは、たとえば権利義務の枠組みでとらえると、権利を有する者とそれを侵害する者、義務を有するのにそれを守らない者というものが想定されている。社会秩序の維持にしても、社会正義の実現にしても、そこには社会秩序とそれを乱す者、社会正義とそれをふみにじる者が想定されている。いわば、善と悪の二元論だ。
それに対して、長官あいさつには、そのような言葉への言及は一切ない。「利害の調整」という枠組みには、いずれの利害が善で悪かという理解ではなく、いずれの利害も正しいものという理解がある。いわば価値相対論だ。
刑事司法までもが「複雑な社会的利害を調整」する機能の中でとらえられているのだろうか。それとも、刑事司法は、司法の役割の中で後退したのだろうか。いずれにしても、隔世の感がある。
司法の役割がこのように「社会的利害の調整」にあるとすれば、裁判所が事実を認定して法を適用する(裁判をする)のが司法の唯一の役割ではなく、いかに和解・調停・仲裁・裁判の手法を駆使して法的紛争を解決するのが司法にとって最も重要な課題だということになろう。それとともに、裁判所のみならず、裁判外紛争解決手段(ADR)も、裁判所と同じくらい重要な役割を担ってくることになろう。
民事調停官も役割重大だ。
投稿者:ゆかわat 00 :32| ビジネス | コメント(0 ) | トラックバック(0 )