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2006 年09 月21 日

非常勤裁判官激励座談会

昨日、大阪弁護士会で開かれた、今年10月から任官される非常勤裁判官の激励の座談会に出席してきた。
一応、近畿弁護士会連合会の主催なのだが、大阪弁護士会からの任官オンパレードだった。任官された方が異口同音に委員会の委員長や理事者に勧誘され口説かれたのが直接の動機だと語っていたのが印象的だった。
これから京都簡裁でご一緒することになる阿部弁護士も出席しておられた。「いつも調停では相手方はどう考えているのだろうか?と思っていたが、調停官になって、両方の考え方が聞けるのが楽しみだ」という趣旨の発言をしておられた。私も同感だ。代理人の立場からは、自分の依頼者の言い分しか聞けない。相手の言い分は相手方代理人または調停委員会からしか聞けない。ところが、調停官になると、両代理人から、さらには両当事者から直接話を聞ける。そこが調停官として腹ふくるる思いをしなくてよい特権だ。

ところが、最近は、両当事者の言い分を聞いた上で、なお腹ふくるる思いをすることがよくある。双方の言い分が全く違うときに、相手方の言い分をそのまま他方当事者に伝えて良いものかどうか。同席調停、あるいは当事者自身による解決の援助という考え方もあるぐらいだから、そのまま伝えるのが良いのだろうということは理解できるのだが、果たして本当にそうだろうか。かえって感情的になりはしないか。かえって本件の事案の本質から離れることになりはしないか。そんなことを恐れてちゅうちょすることが多くなった。とりわけ、医療事件や建築瑕疵事件のように専門的知見を必要とする事件で、専門委員の意見を聞いたときに、そのような思いを強く持ってしまう。当事者はこの点に気づいてないようだが、本件のポイントはここにあるのではないか、そんなことを評議の場で感じることがあるのだ。
 調停の場は、訴訟のように双方当事者から主張立証を受け、判決をするための心証を持つべき場ではない。主張もざくっとしたもので、双方の主張をかみ合わせるわけではなく、反対尋問をしたわけでもない供述を前提に、一専門委員の見解をベースに形成される調停の場の心証は極めて暫定的なものであるだけに、それを当事者にぶつけるのも気が引ける。当事者間の対立のみならず、当事者と調停委員会との対立を生む契機となりはしないか。

そう思うと逆に、事案の対決点ではなく、事件を見る目を変えさせて、あるいはもっと高所から事件を眺めさせて、歩み寄ることができないか。医療事件であれば、医療ミスがあったかどうかではなく、その結果が生じたことは確かなのだから、それに対する慰謝の措置がとれないか。建築瑕疵の事件であれば、それが瑕疵であったかどうかはともかく、欠陥現象があるのは確かだから、それをどのように補修するのか、あるいは補修費用として幾ら支払うかということを考えられないか。そんなことを調停では考えている。そうすると、意外と当事者はそれに応じてくれて調停が成立することも多いのだが、逆に、こちらとしては本当はどうだったのだろうか、ミスはなかったのだろうか、ということが気がかりになって、かえって腹ふくるるのである。

投稿者:ゆかわat 22 :23| ビジネス | コメント(0 ) | トラックバック(0 )

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