2007 年07 月15 日
親子の対話
少年の非行問題が起きたとき、よく親子の会話がないからだ、と言う。そして、よく親子で話し合ってくださいと言われる。ところで、親子の会話・話し合いって何だろう?何を、どうすることが「会話・話し合いをした」ということになるのだろう?
「今日学校でどうだった?」「こんなことがあったよ」、あるいは「お前、どう思ってるんだ」「すまないことをしたと思っています。」「これからどうするんだ?」「もう二度とこんなことはしません」これで親子の会話、話し合いをしたということになるのだろうか。
何をしたことが悪かったのか、それをしたことがどうして悪いことなのか、それをするときは悪いことだとは思っていなかったのか、悪いことだと思っていたのにどうしてしてしまったのか、これから同じような場面に遭遇したときはどうするのか、本当にそうできるのか、また同じ過ちをしたときはどう責任をとるのか、親はそれに対してどう関わるのか。
多分、こんなことを話して、お互いに問題点を共有し理解しあうことが求められているのだろう。
ところで、こんな会話を、親子で本当にできるのだろうか。
そもそも大人であっても、そんなことを考えられる人が一体どれだけいるのだろう。ちなみに、私が刑事事件を弁護して、被疑者・被告人となった人に対していきなり法廷で質問して、答えられた人がいただろうか、とふと思ってみたりする。会話をするということの具体的、意味合いを示さないと、誰も本当に会話をすることはできないし、偽物の会話をして「会話・対話」をしたと錯覚するだけではないか。そして、親はあれだけ話したのにどうして分かってもらえないのかと嘆き、子供は何も対話はしていないと親を恨むだけに終わるのではないだろうか。
投稿者:ゆかわat 00 :32| 日記 | コメント(0 )