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2007 年10 月19 日

談合破り

桑原耕司「談合破り」(WAVE出版)を読んだ。
この本を読んだきっかけは、最近、談合の刑事事件の弁護をしたからだ。

本の内容をかいつまんで紹介すると、岐阜市にある、談合しない宣言の建設会社が公共工事を安く受注しようとするが、そもそも指名競争入札では指名されない、一般競争入札に入札しようとしても岐阜市内に本店を有する会社とのJVを組むことが参加条件となっていて、市内の業者は談合しない会社とはJVを組もうとしないから参加もできない、何とかJVを組んで入札しようとしても発注者(岐阜市)は図面が3部しかない、貸すことしかできないといってまともに見積させようとしない、安全祈願祭を見積には入れていなかったのに市は安全祈願祭をするよう暗に押しつけながらその費用は政教分離原則を理由に支払わない、より安く合理的に工事をしようとして設計改善を提案しても一切受け付けない、それも長時間放ったらしておいて拒否するから工事は遅れる、事実上1社指定となる特記仕様の設計のため原価が高くなる、挙げ句の果てには、設計変更による精算を黒塗りの設計単価で業者に押しつけ、それが嫌なら最初から契約金額に余裕を持たせればよかったじゃないかと言い放つ。
何といやらしい岐阜市公共建築室だろう。

結局、談合というのは、公共工事におけるこの役所の悪しき論理・慣行を業者に押しつけるための公共工事実施のシステムであり、筆者曰く、「(談合は)ある特定の発注者や特定の建設会社の問題ではなく、個人や企業の法令遵守意識や倫理観の問題として片づくものでもない。」「公共工事発注のシステムそのものを大きく変えてしまわなければならない(談合実施者に対する罰則強化や、内部告発の奨励、役人の天下りの制限などだけでは、到底解決できることではない。)」。
著者は、控えめに「公共工事発注のシステム」が癌であると言っているが、端的に役所・役人が「談合」の悪の本質なのである。

ところが、警察も検察も、そして裁判所すらが、談合をした建設業者のみを処罰し、よほどのことがない限り、発注者たる、そして談合により最も利益を受ける役所・役人を処罰しない。このトカゲのしっぽ切りのような、談合の温床、即ちお役所・お役人の論理を擁護するだけの談合の刑事事件は、本当に弁護をしていて腹立たしい限りだ。

ちなみに、この本は、中央建設工事紛争審査会もいかに機能していないか、いや、発注者(役所)に対する不満を切り捨てる意味ではいかに役所寄りに機能しているかをあますところなく描いている。

また、自らの疑問、不服を解決するために情報公開請求をし、その非公開決定(調査基準価格)に対する異議申立までしている姿勢にも共感を覚える。唯一の救いは、情報公開審査会がまともに機能していることくらいだった。

「談合」に関心のある方には是非一読を勧めたい。REI191007


投稿者:ゆかわat 00 :21| ビジネス | コメント(0 )

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