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2007 年10 月31 日

次期学習指導要領の大枠決定

 10月30日、中央教育審議会は次期学習指導要領の大枠を決め、国語や理科などの主要科目の授業時間数を1割増やすなどして、ゆとり教育を改めることとした。

 ところで、この学習指導要領は法律と同じなのか。国民は学習指導要領に法的に従う義務があるのか。学習指導要領は単なる国の審議会に過ぎない中央教育審議会が取りまとめたもので、文部省が告示するだけのものだから、それに法律と同じような法的拘束力があるはずがない。最高裁は、学習指導要領は法規であって法的拘束力があると言うが、そのリーディングケースである旭川学テ事件では、学習指導要領は「教育における機会均等の確保と全国的な一定の水準の維持という目的のために必要かつ合理的と認められる大綱的な基準」であって、「地域差、学校差を超えて全国的に共通なものとして教授されることが必要な最小限度の基準」という意味で地方公共団体や教師を制約することを認めたものに過ぎず、しかも「指導要領の下における教師による創造的かつ弾力的な教育の余地や、地方ごとの特殊性を反映した個別化の余地が十分に残されて」いることにも言及しているから、法的拘束力を肯定したと言っても、それは通常の「法規」のそれとは違うものだ。

 そもそも教育の機会均等や全国的水準の確保が必要だと言っても、教育は教師と生徒との人格的ふれあい・信頼感の中で営まれるものであるから、本質的に、基礎自治体たる市町村が自主的に行うべきもの(教育における地方分権の原則)であるから、地方自治法上の自治事務にあたる。この点からも、かつての機関委任事務のように国が市町村を法的に拘束することは許されない。
 
 したがって、学習指導要領は、文部省が示す、単なる国の基準にしかすぎない。市町村の教育現場は、その基準を参考にしながら、地域の実情に応じて、市町村教育委員会、教師及び保護者が自主的主体的に協議して定める教育を行えばよい。それが法的枠組みのはずだ。
 ところが、現実には、この単なる「要領」が教育現場をも国民をも法的に拘束している。いつまでこの国は明治維新時代のままの中央集権国家なのだろうか。REI191028


投稿者:ゆかわat 23 :42| ビジネス | コメント(0 )

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