2008 年01 月01 日
民事調停官の任期を終えて
京都簡易裁判所での民事調停官の4年の執務も25日で終わった。長いようで短い4年間だった。調停官は調停事件における調停主任であり、裁判官と同じ権限を有している。鑑定採用決定や鑑定人尋問をしたり、未決勾留されている申立人の事件では刑事法廷を使わせていただいたこともあった。1週間に1日裁判官室で執務して、多くの調停事件を扱うことで自分自身、いろんな経験をした。
何よりも良かったことは、京都の街中のことをよく知れたこと。京都生まれ、京都育ちでありながら、学生のときから外に出て、しかも司法修習も京都でしておらず、弁護士業務も京都外での時間の方が長く、しかも事件は世の中に多数あっても私の所に来るのはそのうちのほんのわずかだから、京街中のことをほとんど知らないことに気づいた。それが、事件を通して、また調停委員を通していろんなことを教わった。京街中の再発見、京街人の再発見は何よりも楽しかった。
次に良かったことは、事件の双方当事者から本音の話を直接聞けて、事件の全体像がつかめたこと。弁護士の仕事は一方当事者からの説明しか聞けず、相手方当事者の話は相手方代理人を通して間接的に聞ける程度だ。自ずと事件の全体像の把握が困難だ。その点、最初から双方から直接話を聞けるのは、事件の全体像を理解する上ではとても役立った。以前、民事訴訟の改善方策として、私は代理人による準備書面の交換よりも、釈明処分として早期の本人審尋がよいと意見を言ったことがある(しかし、誰からも支持されなかった。おそらくは、弁護士業務を前提に考えれば、弁護士の頭上を通り越して直接裁判所が心証をとろうとすることに危惧感を感じたのだろう。)が、まさにそれを地で行ったという感じだった。
そして、最後に、その結果として、事件の落ち着きどころが見えるようになったこと。事件の全体像が把握でき、かつ、双方当事者の言い分の食い違い(争点)の立証の見込みがある程度予想できることから、この辺で双方和解するのが一番妥当ではないかというのがよく見えた。
もっとも、調停では、双方が歩み寄って合意しないと成立しないから、どうしても声の大きい方に傾かざるを得なかったのは、調停の限界でもあり、悲しいところでもあった。
それに加えて、弁護士業務を進めるに当たって、事件の落ち着きどころが最初から見えるというのは、あまりよいことではない側面がある。というのは、事件の落ち着きどころが見えると言うことは、依頼者の言い分を全面的に信用しないことにつながる。これは依頼者との信頼関係をこれから作ろうという時点では、あまりよくない。また、着手金ももらいにくいし、金額も低くなる。
いずれにしても、調停というのは、紛争を安いコストで迅速に解決するにはとても適切な制度だということに気づいた。申し訳ないが、福井にいたときは、調停は、家事調停のように必要的前置の場合と建築紛争以外は、利用したことがなかった。どうしても調停委員の出来不出来に結果が比例するからだ。しかし、京都クラスの地裁本庁にある簡裁であれば、調停委員はとても質がよいから、使い勝手がいい。これが、実は調停官になっての一番の収穫だったのかもしれない。
投稿者:ゆかわat 00 :54| ビジネス | コメント(1 )
◆この記事へのコメント:
◆コメント
あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。
良い1年になるといいですね。
ネスクブログを使っていらっしゃる方々に挨拶回り中です(笑
もしご迷惑でしたら削除して頂いて構いませんm(__)m
投稿者: まみりん : URL at 2008 /01 /01 00 :58