2008 年10 月27 日
島の裁判官U
この土曜日からNHKで島の裁判官Uの放映が始まった。初回の表題は「過信」。何が「過信」なのだろうと思いながら観た。
事件は、小学校の休日開放の校庭で子供がテニスコートの審判台によじ登って後ろから下りようとしたら審判台が転倒してけがをしたことに対する損害賠償請求訴訟だ。
裁判官は和解を勧告する。学校側・町には、休日開放したら審判台に未就学児童が遊ぶことも予見されるし、本件のような事故も予見されるのだから、管理の瑕疵があることは明らかだから和解に応ずるようにと勧告し、親側にはこれからもこの町で暮らすのだし、監督の落ち度もあるのでその点も考慮して町が何らかの応答をしてくるようであれば応じるようにと勧告する。極めて常識的な対応だ。そこに「過信」はない。
それに対して、町側はあたかも裁判所から過失を認定されたように受け取って審判台の管理に瑕疵はないことを主張立証し、校庭の休日開放を取りやめた。親側も白黒をはっきりさせるべきで、和解には応じる意思がないという。かえって紛争がこじれていく。当事者の反応・過剰反応の読みを誤ったことが「過信」だろうか。それとも、町側に対して責任を認めるかのような言葉使いをしてしまったことが「過信」で、この場合は「公の場で生じた事故だから責任の有無は関係なく公の費用で賠償しましょう、そうすることでもっと町民に安心して利用していただける学校を目指しましょう」という表現を用いるべきだったのだろうか。
ついに裁判官は当事者に「深い思慮のないまま和解を勧告して申し訳ない。和解は打ち切って判決する」という。判決は請求棄却だ。本来の使用方法とは異なる予想外の使用方法によって生じた損害は賠償義務はない、仮にそのような場合にまで損害賠償に応じないといけなくなると大変なことになるというのがその理由だったと思う。
私としては、公の財産の使用の過程で生じた損害だから、公の費用で賠償するという方向での判決もあり得たのではないかとも思う。
しかし、もっと踏み込んで考えると、事故が起きたときの責任の取り方、公平な損害の分担のあり方は、その地域の文化・慣習・公私の関係、個人主義・社会の成熟度によって異なりうるのかもしれない。その意味で裁判の基準も地域によって異なるのかも知れない。
同時に、裁判も「裁判官」という名の「ひと」のする紛争裁断の営みだから、「裁判官」が何を悩み、何を考えてその結論に至ったのかが当事者にとっても手に取るように分かることが大切なのではないか。だからこそ、ドラマでは、請求を全面的に棄却された原告も、かえってこれまでの迷いを吹っ切れて、もう一度初めから島での生活をやり直す決意が出来たのだろう。
裁判官も当事者に共感し、当事者も裁判官に共感できる裁判。それができれば、もっと裁判という場が血の通ったものになるのだろう。
投稿者:ゆかわat 22 :35| ビジネス | コメント(0 )